PROFILE
【兵庫県との関係】
祖父の代から、丹波国多紀郡大山(現・篠山市大山)の庄屋を勤め、酒造業を営む一方、篠山藩の御台所御用達を仰せつかり、名字帯刀を許された。家業のかたわら、俳諧をたしなみ、上洛して京の俳人としばしば俳席をもち、また自家に各地の俳人を迎えて親交を結んだ。
【略歴】
通称呉四郎、別号を杜陰・白雲居、また自亭を南亭と称する。法名、宥賢院盛室武陵居士。
西尾与七郎の次男として生まれる。兄が天明6年(1786)に他界したのち、21歳の武陵は家督を相続した。篠山藩の御用達を拝命した関係で、青山侯の子息や藩の重役を迎えることもしばしばであった。
俳諧に手を染めるようになった時期ははっきりしないが、天明末年ころ、篠山に住む、蕪村門の暮蓼を頼って几董に接近したものの、寛政元年(1789)10月の几董の急逝などのため、代わって、同じ蕪村門の月居に師事するようになる。寛政元年秋には、月居を自亭に迎えて俳諧興行を催し、また翌年春の上洛時には名古屋の暁台と俳席をともにする。以後、月居に点を仰ぐことが多く、あるいは毎年の上洛ごとに、京俳人と俳交を結んだ。注目されるのは、特定の系列の俳人と交際したのではなく、同地に立ち寄るさまざまな俳人を自亭に招いていたことであり、遊俳の典型ともいうべき存在であった。それだけでなく、本人みずからも、伊勢参宮や吉野旅行、あるいは阿波・淡路・讃岐などの旅を重ねた。
風流韻事は俳諧にとどまらず、漢詩・和歌をはじめ、謡曲や茶の湯などにも深くたしなんだ。
もとより公務をおろそかにすることもなく、雅・俗にわたって、詳細な日記・記録を残し、江戸後期の地方文化のあり方をかたる貴重な資料となっている。
有馬偶成
――秋風や高根は笹の有馬山――(『五芳・鹿古点発句帖』)
- 逝去地
- 丹波大山
- 兵庫県との関係
- 生誕 丹波
- もっと詳しく知るために
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武陵集 西尾野水 1965 私家版
武陵来簡集 大谷篤蔵 1976 私家版
代表作品
作品名 |
刊行年 |
和暦 |
備考 |
山水行 |
1798 |
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東西四哥仙 |
1812 |
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収録:『武陵集』 |
文学碑
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