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兵庫ゆかりの作家

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げっきょ月居

  • 宝暦6~文政7
  • ジャンル: 俳人
  • 出身:京都

PROFILE

【兵庫県との関係】
丹波国紀伊郡大山(現・篠山市大山)の武陵を教えた俳諧の師。寛政元年(1789)8月、大山の武陵亭(南亭)を訪ねて、武陵と両吟歌仙を巻く。その後、しばしば手紙のやりとりをして、俳諧の指導にあたった。また、寛政10年、武陵が俳友とともに上洛して、京の俳人と遊楽をともにして出版した『山水行』に序文を与えた。
【略歴】
初号、春面、別号に三菓園・三巣園・些庵・竹巣・任他庵・角斎などがある。
安永4年(1775)、20歳で蕪村に入門、春面号ではじめて夜半亭の句会に出座。翌年月居と改号。たちまち頭角を現し、夜半亭門の俊英と目される。天明元年(1781)には几董と「十番左右合」を試み、蕪村の判を仰ぐ。しかし次第にその言動に放埒さが見られるようになり、蕪村門より忌避され、師から「無頼者」呼ばわりをされる。蕪村の逝去時にも、京を離れており、追悼句文は客中の紀州より送る。
以後、夜半亭を継いだ几董とも疎遠となって、行脚生活を続けながら、次第に独自の俳壇的地歩を固めていく。そして、寛政2年(1790)9月5日、はじめての二条家俳諧に、名古屋の暁台とともに宗匠として招かれる。その後大坂に居を定めて、池田の呉老や丹波の武陵ら、北摂・丹波、あるいは若狭に門下を広げるなど、俳諧活動を展開するが、寛政12年の捨て文事件により、一時若狭国に身を隠すも、存命中上方の俳壇で優勢を誇る。
また、俳諧のほか、国学を荒木田久老・村田春門に学び、その素養を活かした俳文に長じた。

――雁がねに秋のかさなる夕かな――(武陵「諸家俳諧集」)
(大山の武陵宅でよんだ句)

逝去地
京都
兵庫県との関係
滞在 丹波
もっと詳しく知るために
寛政十二年大坂俳諧師一件(収録:『俳林?歩』) 大谷篤蔵 1988 昭和63年 岩波書店

代表作品

作品名刊行年版元備考
十番左右句合1781収録:『蕪村全集7』
俳諧月居七部集1828収録:『校註俳文学大系12』

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