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兵庫ゆかりの作家

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すてじょ捨女

  • 寛永10~元禄11
  • ジャンル: 俳人・歌人
  • 出身:丹波国柏原

PROFILE

【兵庫県との関係・略歴】
丹波柏原の人。父は田助右衛門季繁、領主織田氏の代官を勤めた家柄である。継母の連れ子である季成に嫁して5男1女の母となる。延宝3年(1675)、夫が亡くなり、天和元年(1681)剃髪した。また、貞享3年(1686)には、盤珪禅師を頼って播州網干の竜門寺に入り、元禄5年(1682)、竜門寺近くに不徹庵を結んで庵主となった。元禄11年(1698)、その地で没した。享年66。
捨女は北村季吟、宮川松堅らに和歌や俳諧を学んだ。井原西鶴編の『古今俳諧女歌仙』(貞享元年(1684)刊)に「梅が香はおもふきさまの袂かな」の句が載り、「丹波の柏原の里に、栗より外を知らぬ野夫まで今俳諧の道つけしは、この女なり。歌学の窓より都を見おろして、万の事にくらからず」と評された。
なお、人口に膾炙している「雪の朝ニの字ニの字の下駄のあと」の句は、『続近世畸人伝』に載る句であるが、他書に見えないので後の付会であろう。
柏原町歴史記念館に隣接して、田捨女記念館が建てられ、遺品が展示されている。

――いざ摘まん若菜もらすな籠の内――

逝去地
播州網干
兵庫県との関係
生誕

文学碑

場所 碑文
丹波市柏原町屋敷柏原藩邸 ゆきのあさ二のじ二のじのげたのあと
丹波市柏原町本町西楽寺 あはの穂や身はかずならぬをみなへし
丹波市柏原町本町本庄生花店前 田捨女誕生地

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