しげより重頼
- 慶長7~延宝8
- ジャンル: 俳人
PROFILE
【兵庫県との関係】
近世俳諧の幕開けとなる句集は、『犬子集』(寛永10年(1633)序)である。その編者、松江重頼は京都の人であるが、晩年には伊丹へしばしば来遊することがあった。12歳の少年鬼貫は、寛文12年(1672)、重頼に連句の加点を依頼した。その縁から、翌延宝元年、重頼を伊丹に招き、入門することになる(『仏兄七久留万(さとえしちくるま)』・『独言(ひとりごと)』)。また、池田宗旦を伊丹に同道したのも重頼である。宗旦は鬼貫はじめ多くの伊丹俳人に俳諧指導をした。重頼から宗旦へ、伊丹風俳諧のルーツが形成された。
【略歴】
重頼は京都の富商で松永貞徳門と言われるが、『犬子集』に続いて俳諧作法書である『毛吹草』(正保2年(1645)刊)を出版するなど、俳諧を新しい時代の文芸として世に広めることに積極的であった。
――やあしばらく花に対して鐘つくこと――
- 兵庫県との関係
- 訪問 伊丹
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
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犬子集(俳諧句集) | 1633 | 収録:『古典俳文学大系 1』(集英社) | |
懐子(ふところご)(俳諧句集) | 1660 |