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兵庫ゆかりの作家

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ちかまつ はんじ近松 半二

  • 享保10~天明3
  • ジャンル: 浄瑠璃作者
  • 出身:大坂

PROFILE

【兵庫県との関係・略歴】
姫路が生んだ高名な儒学者、穂積以貫の二男として大坂に生まれる。父以貫は親交のあった近松門左衛門の優れた芸術論「虚実皮膜論」を『難波土産(なにわみやげ)』(元文3年刊)に残している。祖父の代からの学者の家系に生まれ、当然、その薫陶を受けたと思われるが、青年期を放蕩に過ごしたと伝えられている。やがて、2代目竹田出雲に入門して、竹本座の座付き作者となり、近松姓を名乗ることになるのだが、ここには父以貫の影響が大きかったと考えられる。作者としての最初の作品は、宝暦4年(1751)10月の『役行者大峰桜(えんのぎょうじゃおおみねざくら)』で、その序段を担当した。以後、30余年にわたり、当時衰退期にあった人形浄瑠璃界において、優れた作品を次々と発表した。天明3年(1783)4月上演の絶筆『伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)』に至るまで、今日の歌舞伎や文楽に舞台生命を保つ作品を数多く残している。兵庫県を舞台にした作品としては、宝暦7年(1757)9月の『薩摩歌妓鑑』は、播磨の尾上家の御家騒動を扱っており、おまんは室津の遊女である。また、宝暦10年(1760)7月の『極彩色娘扇』はお夏清十郎劇で、事件は姫路で起こるが、高砂や加古川なども舞台となっている。半二の没後、天明7年(1787)に刊行された随筆『独判断(ひとりさばき)』は、彼の人生観を知る資料である。

逝去地
大坂
兵庫県との関係
父の生地 姫路市
もっと詳しく知るために
浄瑠璃作品要説<3> 近松半二篇 国立劇場芸能調査室 1984 昭和59年 国立劇場
近松半二浄瑠璃集[一](叢書江戸文庫14) 原道生 1987 昭和62年 国書刊行会
近松半二浄瑠璃集[二](叢書江戸文庫39) 阪口弘之 1996 平成8年 国書刊行会

代表作品

作品名刊行年版元備考
役行者大峰桜(浄瑠璃)1751収録:『近松半二浄瑠璃集[一]』(原道生校訂代表、叢書江戸文庫14)
愛護稚名歌勝鬨(浄瑠璃)1753収録:『近松半二浄瑠璃集[一]』(原道生校訂代表、叢書江戸文庫14)
小野道風青柳硯(浄瑠璃)1754収録:『近松半二浄瑠璃集[一]』(原道生校訂代表、叢書江戸文庫14)
薩摩歌妓鑑(浄瑠璃)1757
姫小松子日の遊(浄瑠璃)1757
日高川入相花王(浄瑠璃)1759
太平記菊水巻(浄瑠璃)1759収録:『近松半二浄瑠璃集[一]』(原道生校訂代表、叢書江戸文庫14)
極彩色娘扇(浄瑠璃)1760
奥州安達原(浄瑠璃)1762
山城の国畜生塚(浄瑠璃)1763収録:『近松半二浄瑠璃集[一]』(原道生校訂代表、叢書江戸文庫14)
姻袖鏡(浄瑠璃)1765収録:『近松半二浄瑠璃集[二]』(阪口弘之校訂代表、叢書江戸文庫39)
蘭奢待新田系図(浄瑠璃)1765収録:『近松半二浄瑠璃集[二]』(阪口弘之校訂代表、叢書江戸文庫39)
太平記忠臣講釈(浄瑠璃)1766収録:『近松半二浄瑠璃集[二]』(阪口弘之校訂代表、叢書江戸文庫39)
本朝廿四孝(浄瑠璃)1766
三日太平記(浄瑠璃)1767
関取千両幟(浄瑠璃)1767
傾城阿波の鳴門(浄瑠璃)1768収録:『近松半二浄瑠璃集[二]』(阪口弘之校訂代表、叢書江戸文庫39)
近江源氏先陣館(浄瑠璃)1769
振袖天神記(浄瑠璃)1769
妹背山婦女庭訓(浄瑠璃)1771収録:『浄瑠璃集』新編日本古典文学全集
いろは蔵三組盃(浄瑠璃)1773
往古曽根崎村噂(浄瑠璃)1778
道中亀山噺(浄瑠璃)1778
心中紙屋治兵衛(浄瑠璃)1778収録:『近松半二浄瑠璃集[二]』(阪口弘之校訂代表、叢書江戸文庫39)
新版歌祭文(浄瑠璃)1780
伊賀越道中双六(浄瑠璃)1783
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