せいぎ青岐
- 宝暦6~文化元
- ジャンル: 俳人
- 出身:淡路
PROFILE
【兵庫県との関係・略歴】
淡路の津名郡小山田に生まれ、淡路普済寺の住職玉屑(ぎょくせつ)の指導により、青蘿に入門。はじめは狼藉窓天柱(ろうぜきそうてんちゅう)と号していたが、のちに師の一字をもらって藜(あかぎ)庵青岐と号し、淡路俳壇を指導。玉屑とともに「奥の細道」行脚に向かい、寛政12年(1800)に洲本の地蔵精舎(遍照院境内)にこの旅の句を刻んだ桜塚を建立した。文化元年(1804)に没した青岐の葬儀は、この地蔵精舎で執り行われた。青岐の三回忌追善集に『驢鳴篇(ろめいへん)』(文化3年、玉屑編)がある。墓は淡路の五色町小山田西光寺にある。
――照とのみおもひし空に秋のたつ――(『驢明篇』)
- 逝去地
- 淡路
- 兵庫県との関係
- 生誕 淡路
代表作品
作品名 | 刊行年 | 版元 | 備考 |
---|---|---|---|
さくら塚(俳諧撰集) | 1800 |
文学碑
場所 | 碑文 |
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南あわじ市榎列西川県道うずしおライン傍 | 右「隠れても 竹はもつべし 夕しぐれ」(青城) 中「明月や ふけて我すむ 山のうへ」(青岐) 左「根に帰る 木をひき包む さくらかな」(葛老) |