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兵庫ゆかりの作家

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しこう支考

  • 寛文5~享保16
  • ジャンル: 俳人
  • 出身:山県郡北野村

PROFILE

【兵庫県との関係】
宝永2年(1705)3月に伊丹に赴く。座神・東明・支考の三吟留別四十四(よよし)各1巻(『すのじ』座神編・宝永2年所収)が伝わる。4月、伊丹を出立、池田、西宮を経由して、今津、姫路、龍野と西国への旅へと向かった。
【略歴】
各務氏。別号、東華(花)坊・西華(花)坊・野盤子・見龍・獅子庵。変名、蓮二房・白狂・渡部ノ狂(くるう)。
美濃国山県郡北野村(現・岐阜県岐阜市)に生まれる。元禄3年(1690)3月、近江で芭蕉に入門。翌年冬には熱田から師について江戸へ下る。同7年9月には伊賀上野に芭蕉を訪ねて大坂に同行、師の臨終をみとった。没後その追善に『笈(おい)日記』を編んだ。
元禄11年頃より本格的な俳諧活動に入り、筑紫、近畿、加越へと俳諧行脚に出、自派の確立に力を傾注する。伊丹への訪問は宝永2年3月、すでに支考の名声が世に聞えていた時期である。
正徳元年(1711)、自己の「終焉記」を著して佯死(ようし)し、自らの追善集『阿誰話(たそのわ)』を上梓する。以後、蓮二房・渡部ノ狂などの変名を用いて活動し、享保期には『本朝文鑑』『和漢文操』の俳文集を編み、『俳諧十論』に自己の俳論体系を確立する。享保16年(1731)春、北野の獅子庵に没した。

――卯の花の伊丹を出て池田迄――(『すの字』)

逝去地
山県郡北野村
兵庫県との関係
訪問 伊丹
もっと詳しく知るために
支考年譜考証 堀切実/著 1969 昭和44年 笠間書院
蕉風俳論の研究―支考を中心に― 堀切実/著 1982 昭和57年 明治書院
芭蕉の門人 堀切実/著 1991 平成3年 岩波新書

代表作品

作品名刊行年版元備考
葛の松原(俳論書)1692収録:『古典俳文学大系 10』
つれづれの讃(俳論書・古典注釈書)1694収録:『国語国文学研究史大成 6』
笈日記(俳諧追善句文集)1695収録:『古典俳文学大系 6』
続五論(俳論書) 1699収録:『古典俳文学大系 10』
西華集(俳諧撰集) 1699収録:『俳諧文庫 8』
梟日記(俳諧紀行)1699収録:『日本俳書大系 5』
東華集(俳諧撰集) 1700収録:『俳諧文庫 8』
東西夜話(俳諧俳話集) 1702収録:『加越能古俳書大観(下)』
三日歌仙(俳諧撰集) 1705収録:『文教国文学 26』
越の名残(俳諧撰集) 1708収録:『新潟県史 資料篇11』
夏ごろも(俳諧紀行) 1708収録:『俳諧文庫 8』
阿誰話(たそのわ)(俳諧追善集) 1711収録:『俳諧文庫 8』
本朝文鑑(俳文集) 1717収録:『俳諧文庫 9』
俳諧十論(俳論書) 1719収録:『日本俳書大系 9』
十論為弁抄(俳論書) 1725収録:『古典俳文学大系 6』
和漢文操(俳文集) 1727収録:『古典俳文学大系 10』
俳諧古今抄(俳諧作法書) 1729収録:『俳諧叢書 2』
蓮二吟集(俳諧句集) 1755収録:『日本俳書大系 11』

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