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兵庫ゆかりの文学

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きくち ゆうほう菊池 幽芳

  • 明治3~昭和22(1870~1947)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:水戸

作品名

乳姉妹

刊行年

1904

版元

春陽堂

概要

前篇

(一)

或夏の午後五時過、播州飾磨の里に導びく田舎道を、二人乗の俥に搖られて來る品のよい若い婦人がありました。年のころはやツと二十二三位、高等な丸髷に藤色の手柄をかけ、越後上布の紺飛白を着て居るのが、その白い肌に移り合つて、際立つて器量を善く見せて居ます。
膝の上には三ツばかりの女の兒の、色白の愛くるしいのに、さツぱりした友禪の衣服を着せたのを抱て、時々はもう可愛くてならぬといふ風に、わが兒の顔に頬ずりをしては、しげしげと見入つてうつとりとなるのですが、その眼にはいつか涙の露も見えるのです。兒を抱いた片側には、大きな柳行李を乗せて居るのが、道の高低に出遭ふごとに、ひどく揺れて、その都度わが兒を押されぬやうと、纖やかな腕でかばひ立するのがいぢらしいやうでした。
やがて俥は飾磨の町も抜け、その里外れに入つて、そちこち尋ねつゝ進むのですが、まだそのころは播但鐵道も飾磨までは通はず、海水浴塲などいふものも出來て居らぬころですから、コンな里外れへ都人などの滅多に訪づれるといふ事もなく、まして都にも珍らしい、器量よしの貴婦人が尋ねて來たのですから、俥の上の美くしい姿を見かけては、娘も女房も往来へかけ出して目ひき袖ひき、囁(原本は口に耳一つ)やき合ふといふ有様でした。
其中俥は里人に教へられ、杉の生垣を繞した、トある田舎家の前へ立留まると、大方その音を聞つけたのでせう、年のころ四十前後と見えて、こゝらあたりに珍らしいほど品もあり、身姿も小ざツぱりして、如何にも親切さうな眼色の女が、小走りに出て來ましたが、今俥の上から、兒を抱いて下りやうとする若い婦人と顔を見合はすと、もう前後も忘れたやうに、
(女)おゝほんとにいらつしやつたのでございますかね、まアお孃さま!
と目にはいつか涙を浮べていふのです。この通りに眞心から歡迎されたのを見て、若き貴婦人も懷かしさに堪えぬやうに、
(貴)乳母、久しく遭はなかつたわねえ。この兒を預けて行くのは、お前の外にはないのだから……。
俥から下りながら、母はまたわが兒の頬に美くしい唇を押當ました。年を取つた女はその愛くるしい幼兒を、若い女の腕から抱取つて、
(乳)まア、お可愛らしうござんす事、貴女の幼立そつくらですよ。かうお抱申すと、何だか二十年前のやうな氣になつて、貴女をお抱申してるとほか思はれませんわ。まアこの愛くるしくつて居らつしやること!もうこンなお可愛らしいのが、お出來遊ばしたのでございますかねえ、ほんとに夢でございますよ。
乳母は抱取つた子をあやしながら、貴婦人を案内してわが家に伴ふ跡から、年老いた車夫は重げに行李をかたげて上り口へ卸しましたが、貴婦人は車夫に一時間ばかり待居るやうにと吩つけて座敷へ通りました。
(貴)乳母、どうぞその兒を私に抱かしておくれ、私はぢきこの兒と別れなければならないんだから……。
と離れともなさゝうにまたわが兒を抱き取つて、
(貴)孃や、こゝが孃やの家なのだよ、お母さんが居なくなつても、大人しくして居らつしやいよ、決してむつかるのではありませんよ。いゝかへ、お母さんはすぐまた歸つて來ますからね。
と薔薇の莟のやうな唇に接吻して、人目も忘れわが兒を抱しめる風情は、哀れを催ほすばかりなので、心善い乳母はそツと同情の涙を拭くのでした。そしてそのまゝ立上つて勝手へ下り、茶の仕度や何かをして、また来て見ると、貴婦人が餘念もなく幼兒を愛して居る處なので、
(乳)ほんとにお察し申しますよ。……私が貴女をお育て申した通り、大事にかけてお育て申しますから、お孃さま、決してお案じなさいますな。
(貴)あゝ、お前に預けて行さへすりやア私はちつとも心配はないけれどもね……たゞね、ひよつとしたら、これが一生の別れになりやアしまいかと……ほゝそンな事はあるまいけどもね、何だか悲しくツて仕様がないの。
(乳)あれ、お孃さま、そンな縁喜でもない事を仰しやるものではございません。貴女はすぐお歸り遊ばします。ですけどもお孃さま――ほゝ、最早お孃さまではございませんものを。旦那さまをお持遊ばして、こンなお可愛らしいのまで出來て居らつしやるのですもの、夢のやうでござんすわねえ――(と云つて氣をかへ)貴女は今でも昔の通り乳母を信用して下さいますなら、どうぞ何もかもお打明下さいまし。私にはお孃さまのお身の上がちつとも合點がまゐらないのでございますもの。旦那様はどンなお方で、今どこにお出遊ばすのでございます。貴女はなぜこンなお可愛らしいのを、乳母にお預けなさるのでございます。私に得心の出來るやうにお話し下さいまし。
(貴)あゝ。
と云つたものゝ貴婦人は一心に幼兒の絹のやうな艶やかな頭髪を撫でて、伏目になつたまゝやゝしばし答はありませんでした。
が、やがて首肯ながら話し出す處によると、先年この乳母が暇を取つた間もなく、この貴好人の父の眞野順藏といふのが鑛山業に失敗し、數萬の富を重ねた家も、バタバタと見る見る中に零落し始め、程なく父は死亡した所から、母に伴はれて東京に出、高等女學校の教育を受てゐる中、十五歳の折に母親にも死別れて、全く孤兒となつて仕舞つたのです。幸ひに情ある人の世話で、高等女學校だけは卒業する事が出來ましたが、卒業後は自活の道を立ねばならぬ必要から、小學校の教師となり、一年許を過す中、丁度十九の時、華族出身の佐官の軍人の家に、家庭教師として雇はれる事になつて居ましたさうで、君江といふのがこの貴婦人の名なのです。

(後略)

『明治文學全集93明治家庭小説集』筑摩書房 P.90?92


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