
広大な草原地帯が広がる天山山脈の北側には、古くから遊牧を営む人々が行き交い、天山北路と呼ばれるルートが生まれました。中でも天山南路と北路が交わる要衝トルファンは、匈奴や突厥(とっけつ)といった遊牧民たちと中国の諸王朝がその覇権を争った歴史の舞台でもありました。漢代にはトルファン盆地を支配した車師前国(しゃしぜんこく)をとおして北方系の文化が中国側に流入したといわれていますが、トルファン近郊のアスターナ墓地で発見された遺物や、カザフスタンとの国境近くの遺跡から発見された土器や装身具などには、他のルートには見られない北方民族の特徴が漂っています。 |


 |
 |