
敦煌から西に向うとシルクロードは楼蘭で二つのルートに別れます。楼蘭から天山山脈の南麓沿いにインパン、コルラ、クチャを経てカシュガルにつながる道を天山南路と呼び、前章の西域南道と並ぶシルクロードの幹線として存在していました。楼蘭とコルラの間の中継地点となったのがインパンで、近年、この地域の多数の墓地から紀元前3世紀から紀元5世紀頃にかけた遺物が多数発見されています。中でも、金箔を押した面で顔を覆われ、豪華な毛織物や絹の衣を身にまとった「男子ミイラ衣裳」は、当時の繁栄を物語るだけでなく、東西のさまざまな物資の往来を今に伝えています。 |


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