1895 年に日本に割譲された台湾では、1927 年から、台北で台湾美術展覧会(台展)が開かれました。1938 年から主催が変わり、台湾総督府美術展覧会(府展)と呼ばれています。
朝鮮美展と同様、台展・府展においても、「台湾らしさ」が追求されています。それらは、日本人審査員からの要望であると同時に、自分自身の在り方をめぐる問いでした。伝統文化と台湾社会の近代化を見つめ、郷土の風景を明るい色彩で描き出した作品には、「地方色(ローカル・カラー)」が表れています。
流行のチャイナドレスをまとう女性。
伝統文化に根ざしつつ西洋的な教養も身につけたモダンガールの姿は、女性画家である陳進にとって、自己の表現でもありました。
この章には、台湾・府展の創設に尽力し、台湾人画家を指導した日本人作家も含まれています。
塩月桃甫は台北第一中学校と台湾総督府高等学校で教鞭をとり、台展の創立に参加しただけでなく、初回から最終回まで西洋画部の審査員をつとめました。