1910 年の韓国併合により日本の統治下におかれた朝鮮半島では、1922 年から、ソウル(旧京城)で朝鮮美術展覧会(朝鮮美展)が開かれました。
朝鮮美展において、作家たちは、日本人審査員が求めた技術の水準と「朝鮮らしい」主題や表現にこたえながら、自らのアイデンティティを探求し、優れた作品を生み出しました。民族の伝統文化や朝鮮半島の自然を近代的な視点でとらえた作品は、独自の近代美術を形づくっています。
東京美術学校に留学していたときの作品で朝鮮美展で昌徳宮賞を受賞しました。
公序良俗に反するとして当時の朝鮮の新聞・雑
誌には図版が載りませんでしたが、若い画家にとって、裸婦はモダンな実験であり、伝統的な価値観に対する挑戦でもありました。
この章には、朝鮮美展の創設に関わった、あるいは同展に参加した日本人作家も含まれています。
加藤松林人は、朝鮮各地の風景を描きとめた画家です。
本展への出品作品は、ソウル(当時の京城)を熟知しているからこそ生まれた作品といえます。