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覧会構成
センパイ、トモダチ

孤高のイメージが強い金山平三ですが、先輩格の画家、満谷国四郎(みつたに・くにしろう 1874-1936)とは親しくつきあい、制作の上でも少なからぬ影響を受けています。そのほか柚木久太(ゆのき・ひさた 1885-1970)や姫路出身の新井完(あらい・たもつ 1885-1964)らとは、写生旅行に一緒に出かけ、画架を並べて制作しました。これらの画家たちを紹介しながら、金山の交友関係やその影響を確認します。


  • 満谷国四郎《臨江甘露寺(鎮江)》1924年
    岡山県立美術館蔵

  • 金山平三《江南水郷》1924年
    当館蔵

  • 柚木久太《甘露寺》1926年
    個人蔵
壁画への道

1924(大正13)年、金山平三は明治神宮聖徳記念絵画館を飾る壁画の委嘱を受け、明治天皇の事績を顕彰するために計画された壁画80面のひとつに取り組みます。与えられた画題は「日清役平壌戦」。さまざまな制約の中、金山は最大限この画題を効果的に表現するべく推敲を重ねました。この章では、1933(昭和8)年に奉納するまで足かけ約9年の歳月を費やした壁画制作への軌跡を下絵や素描、課題解決のために描いた別作品からたどります。


  • 金山平三《画稿(日清役平壌戦)》1924-33年
    当館蔵

  • 金山平三《画稿(日清役平壌戦)》1924-33年
    当館蔵

  • 金山平三《画稿(日清役平壌戦)》1924-33年
    明治神宮蔵
画家と身体―動きを追いかけて

幼い頃から芝居に親しんでいた金山平三は、1929(昭和4)年ごろから芝居絵という一連の作品を描き始めます。大病後の療養生活の手すさびとして描き始めたのがきっかけとされています。役者の動きや舞台転換など瞬間の動きを的確にとらえたこれら芝居絵には、金山の画家としての観察力がいかんなく発揮されています。この章では、こうした金山の「眼」のありさまを、須田国太郎(すだ・くにたろう 1891-1961)の能・狂言デッサンと比較しながら見ていただきます。


  • 金山平三《無題(大序・段切れ)》1929-60年
    当館蔵

  • 金山平三《もう行くぞえ》1929-60年
    当館蔵

  • 須田国太郎《景清》より(昭和30年5月26日、秀麗会、水道橋能楽堂)
    大阪大学大学院人文学研究科蔵
生命への眼差し

金山平三は、一年の大半を写生旅行先で過ごしましたが、東京・下落合のアトリエでは静物画をよく描きました。今は盛りに咲き誇る花から、萎れて花弁が垂れ枯れ行く花まで、柔らかく繊細な筆致で描かれた花々は優雅で気品にあふれています。また、写生地の宿で、描く天候に恵まれない時に、海からとれたばかりの魚介類を描いた作品は、金山の名人技を堪能できる作品として愛好されました。この章では、移ろいやすく儚い生命をみずみずしい筆致で描いた静物画を展示します。


  • 金山平三《とまと》1915-34年
    当館蔵

  • 金山平三《菊》1921年頃
    当館蔵

  • 金山平三《こち》1945-56年
    東京国立近代美術館蔵
列車を乗り継いで―風景画家の旅

風景画家として金山は列車を乗り継いで、頻繁に日本各地を旅行しました。道中そして旅先から、妻、らくに絵葉書を送り、旅程を克明に伝えています。この章では、絵葉書から読み解くことができるルートを紹介しながら、風景画の数々を紹介します。画家が道中、何を目にし、何を描こうとしたのか、行く先々で出会う風景の中で何を見、何を描こうとしたのか、金山の眼になって作品をお楽しみください。


  • 金山平三《風雨の翌日》1933年
    東京藝術大学蔵

  • 金山平三《洞爺湖》1939年
    当館蔵

  • 金山平三《まゆみ》1945-56年
    当館蔵