展覧会構成

アイノ・アアルトとアルヴァ・アアルト、
ニューヨーク万国博覧会・フィンランド館にて、
1939年 Aalto Family Collection
イントロダクション 二人のアアルト

ヘルシンキ工科大学を卒業後、アルヴァが設立した小さな建築事務所にアイノが訪れたことから2人のパートナー関係は始まりました。暮らしを大切にするアイノの視点が加わったことで、アルヴァの作品には柔らかさや優しさが生まれたと言われています。

1920年代に国際的に起こったモダニズムの影響を受けながらも、夫妻はフィンランドの環境特性に配慮し、自然のモチーフを取り入れた独自のデザインを探求していきます。

1920年代 協働のはじまり-モダニズムとの出会い
1 イタリアから持ち帰ったもの

1920年代、フィンランドでは古典主義建築が隆盛を誇っていました。1924年の秋、アイノとアルヴァは新婚旅行のために北イタリアを訪れ、バロックやルネサンス様式の建築を見て刺激を受けます。その後にアルヴァが初めて手掛けた重要な公共建築となるユヴァスキュラの労働者会館やムーラメの教会にはイタリア旅行の経験が活かされました。一方でアイノは、家族のためにつましい夏の家、ヴィラ・フローラを設計しています。


アイノ・アアルト ヴィラ・フローラ 外観水彩画
(オリジナル・ペインティング)、1942年
Aalto Family Collection Photo: 光齋 昇馬
2 モダン・ライフ

1927年、アルヴァの事務所が大規模建築プロジェクト、南西フィンランド農業協同組合ビルの設計競技に優勝したのを機に、一家はトゥルクに移住します。当時フィンランドで最先端だった国際都市で、新しい革新的な技術や洗練されたモダンな生活スタイルに触れ、アイノとアルヴァの建築は短期間のうちに完全なモダニズムへと変貌をとげていきました。特にアルヴァが近代建築国際会議(CIAM)に参加したことで、2人は社交の場を国外へも広げ、社会をよりよくするものとしてのモダニズムの考え方を深めていきます。


最小限住宅展、1930年 Alvar Aalto Foundation
Photo: Heinrich I?and
1930年代 飛躍-フィンランドから世界へ
3 木材曲げ加工の技術革新

かねてより木材による新たなデザインの可能性を探っていたアアルト夫妻は、トゥルクで新たな家具の開発にも注力しました。熟練した家具職人オット・コルホネンとの出会いによって、木材曲げ加工の技術を発展させ、国産で安価なバーチ材を使用した「パイミオ チェア」を誕生させます。これは、アアルトの名を家具デザイナーとしても一躍有名にしました。また、座面と足の接続部の強度を高めるためにL - レッグという加工技術を開発し、特許を取得しています。


アルヴァ・アアルト
41 アームチェア パイミオ、1932年 (design)
Alvar Aalto Foundation
Photo:Tiina Ekosaari

アルヴァ・アアルト
66 チェア、1936年 (design)
Alvar Aalto Foundation
Photo:Maija Holma

アルヴァ・アアルト
N65 子ども用チェア、1935年 (design)
Alvar Aalto Foundation
Photo:Maija Holma
4 機能主義の躍進

国内でも早い段階でモダニズムの思想や手法を取り入れたアルヴァは、規格化された部材や軽量間仕切り壁によって部屋の数を増減することができるフィンランド初の機能主義集合住宅を設計しました。その後、本格的な機能主義建築であるトゥルン・サノマット新聞社ビルをはじめ、規格化への取り組みを始めます。この頃の代表的な作品として、パイミオのサナトリウムやヴィープリの図書館があります。


パイミオのサナトリウム 病室
のための「音の静かな」洗面台
(オリジナル・ドローイング)
Alvar Aalto Foundation

ヴィープリの図書館 講堂
Alvar Aalto Foundation



ヴィープリの図書館 外観、2014年
Alvar Aalto Foundation


5 アルテック物語

1935年、インテリアデザインを手掛ける会社アルテックがヘルシンキに設立されました。アイノが初代アートディレクターを務め、当時最先端の技術を使ったアアルト家具に加えて上質な輸入品を販売し、モダンアートの展覧会を開催したストアは、フィンランドにおける文化の発信地となりました。また、夫妻はレストラン・サヴォイのような総合的なインテリアを手掛けたり、幼稚園や保育園の内装を提案するなど国民の暮らしを向上させる手段としてのモダニズムを推し進めました。


アイノ・アアルト
ボルゲブリック・シリーズ、1932年(design)
Alvar Aalto Foundation

アイノ・アアルト
子どものためのベッド(アルテック社製)
Alvar Aalto Foundation
6 モダンホーム

住宅問題に関心を持っていたアルヴァは、社会をより良くする手段としてのモダニズムの形に注力します。パイミオのサナトリウムやカウットゥアの製紙工場の社宅など、労働者のための機能的な集合住宅を提案し、また実業家などの個人の住宅のインテリアもアルテックの家具やモダンアートを組み合わせて構成しました。普遍的で使いやすく居心地のよい住居づくりを紹介するために、数多くの展示会も開催しています。


アアルト自邸 外観立面図(オリジナルドローイング)、
1930年代 
Alvar Aalto Foundation

アアルト自邸 リビングルーム、
2003年 
Alvar Aalto Foundation 
Photo: Maija Holma

マイレア邸 リビングルーム 
Alvar Aalto Foundation
Photo:Maija Holma
1930年代後半~40年代 国際舞台での功績 引き継がれる二人のヴィジョン
7 国際舞台でのアアルト夫妻

アアルトの名前はその機能主義的な建築作品と革新的な家具によってヨーロッパで広く知られるようになっていきます。1933年のミラノ・トリエンナーレや1937年のパリ万国博覧会への参加、また1938年のニューヨーク近代美術館での個展の開催、そして1939年ニューヨーク万国博覧会におけるフィンランド館のデザインなど、アイノとアルヴァの活動は躍進し、彼らに対する評価は時の一流建築家と肩を並べるほどでした。


ニューヨーク万国博覧会・フィンランド館、1939年 
Alvar Aalto Foundation

アイノ・アアルトとアルヴァ・アアルト
アーロン・クッカ(アアルトの花)
Alvar Aalto Foundation 
Photo: Martti Kapanen

アイノ・アアルトとアルヴァ・アアルト、
ニューヨーク万国博覧会・フィンランド館にて、1939年 
Aalto Family Collection
エピローグ 分かち合ったヴィジョン

ニューヨーク万国博覧会の参加によってアメリカでも評判の高まったアルヴァは、マサチューセッツ工科大学に教師として招かれ、また同大学の学生寮ベイカーハウスの設計も依頼されました。これは、アイノとアルヴァが手掛けた最後のプロジェクトの一つになりました。

夫妻が協働した1949年までの25年間にアイノが果たした功績を明らかにすることは不可能ですが、ファミリー・コレクションを始め今日まで残されている数多くの資料や写真が2人の軌跡を物語っています。


アイノ・アアルトとアルヴァ・アアルト、1937年 
Aalto Family Collection 
Photo: Eino Makinen


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