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展示構成
第1章
前衛とは「これまでになかったもの」である

戦後、最もエネルギッシュで熱い活動を展開した前衛グループのひとつである「具体」を、「前衛芸術の日本展」への出品作も交え展示します。具体(具体美術協会)は1954年、画家吉原治良のもとに集まった若手美術家たちによって、兵庫県芦屋市で結成されたグループです。「人のまねをするな、これまでになかったものを創れ」という吉原の指導のもと、会員たちは今までにない斬新な表現に果敢に挑んでいきました。「前衛芸術の日本展」では、吉原治良、白髪一雄ら「具体」の主要作家の作品が展示されました。「具体」の国内外での評価がゆるぎないものとなったのはこの展覧会がきっかけとされています。

出品作家:
吉原治良、白髪一雄、元永定正、田中敦子ほか

  • 元永定正《タピエ氏》1958年
    山村コレクション

  • 白髪一雄《作品Ⅱ》1958年
第2章
前衛とは「先端」である

「前衛芸術の日本展」の起点は1910年。西欧では20世紀の初頭、未来派やキュビスム、フォービスム、表現主義など非写実的傾向の美術がつぎつぎと出現しました。
1920年10月、ロシアの画家、ダヴィド・ブルリューク、ヴィクトル・パリモフが来日、彼らが開催した「日本に於ける最初のロシア画展」は大正期の新興美術の大きな推進力となったほか、1920年代には新しい表現に挑む尖鋭的なグループがつぎつぎと現れました。
1930年代には、シュルレアリスムや抽象美術に影響を受けた画家たちもあらわれました。

出品作家:
ダヴィド・ブルリューク、恩地孝四郎、浅原清隆、岡本唐貴、坂田一男ほか

  • 坂田一男《女と植木鉢》1926年頃

  • 岡本唐貴《ペシミストの祝祭》
    1973年(1925年)
第3章
前衛とは「断絶」である

1950年代にフランスでおこったアンフォルメルの動向を中心に紹介します。アンフォルメル(=不定形なるもの、の意)は、フランスの批評家ミシェル・タピエが提唱した抽象絵画の一傾向です。1956年の「世界・今日の美術展」をきっかけに「アンフォルメル旋風」を美術界に巻き起こし日本に広まりました。「何か」をマチエール(物質)によって表現するのではなく、「何か」を表現する「手段」そのものが目的化する、マチエールそのものの中に表現的可能性をみようとするアンフォルメルは、表現の否定、フォルムのシステムの否定すなわち近代芸術の伝統からの断絶であっただけでなく、「表現の次元ではなく、表現論の次元における断絶」であったと批評家の宮川淳は述べています。アンフォルメルの出現により「フォルムからマチエールへの価値転換」「表現概念の価値転換」がおこり、これははアクション・ペインティング、そして「具体」の理念とも繋がっていきます。

出品作家:
今井俊満、堂本尚郎、菅井汲、田渕安一ほか

  • 堂本尚郎《絵画1》1956年
    山村コレクション

  • 山口長男《垂》1965年 

  • 菅井汲《AO(BLEU)》1962年
第4章
前衛とは「逸脱」である

1949年、読売アンデパンダン展が発足しました。無鑑査の公募展であり、作家たちの自由な発表の場として毎年開催されましたが、第9回展(1957年)ごろから出品物が次第に過激化し、挑発的でスキャンダラスな作品が出品されるようになり、これらは「反芸術」と呼ばれました。1950年代後半から60年代にかけて「九州派」(1957年)、「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」(1960年)、「ハイレッド・センター」(1963年)、「グループ位」(1965年)などさまざまな前衛グループがあらわれ、既成の芸術概念から逸脱するような活動を展開しました。反芸術をはじめとするこれらの過激で価値破壊的な活動は、絵画・彫刻といった既存の芸術の枠組から逸脱するだけでなく、美術の制度やそのあり方を根底から問い直すものでした。

出品作家:
荒川修作、菊畑茂久馬、須田剋太、高松次郎ほか

  • 高松次郎《脚立の紐》
    1963年(1985年)
    山村コレクション
    ©The Estate of Jiro Takamatsu, Courtesy of Yumiko Chiba Associates

  • グループ〈位〉《非人称絵画(8点組)》
    1965年(2004年)
第5章
前衛とは「否定」である

「前衛芸術の日本展」、造形美術セクションの最後は「もの派」でしめくくられました。1968年、第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展で発表された関根伸夫による《位相―大地》は美術界に大きな衝撃をもたらしました。この作品を契機として土や石、木などの未加工の自然物を用いた一群の作家たちがあらわれました。通底していたのは「あるがままにあることを、あるがままに見せる」「つくらない」「創造行為の不在」であり、近代西欧美術における「創造」の概念を否定し、破棄したことでした。この意味で「もの派」は日本の戦後美術において、はじめて日本の固有性を示したともいわれています。

出品作家:
小清水漸、河口龍夫ほか

  • 河口龍夫《DARK BOX 2007》2007年 
第6章
前衛とは「越境」である

この章では日本独自のジャンルである日本画、書を取り上げます。書と絵画がジャンルを超えて接近したのは1950年ごろからです。1951年に森田子龍、須田剋太、宇野雪村、今井清が創刊した書芸術雑誌『墨美』は、海外の前衛美術の紹介につとめ、津高和一や吉原治良など関西の画家たちにも大きな影響を与えました。1950年代、文字を超えた形の表現としての書と絵画とが交わり一つの表現を生んだことは、日本(東洋)における書画一致の伝統への回帰とみることもでき、日本独自の前衛ともいえます。
作家、文芸評論家の花田清輝は、「前衛」の本質を「レジスタンス」(抵抗)ととらえたうえで、文人画は自らの中にレジスタンスの様々な要素を含んでいると指摘し、当時の既存の権威や規範から反抗を原動力として興った文人画(南画)はその意味でアヴァンギャルド(前衛)ではないかと述べています。
「前衛芸術の日本展」では、戦前、戦後の「写真芸術」のセクションが設けられました。本展の最後に、1930年代、フォトグラムやフォトモンタージュを駆使し、写真の新たな表現に挑み日本の新興写真に大きな役割を果たした中山岩太、ハナヤ勘兵衛の作品を展示します。

出品作家:
森田子龍、富岡鉄斎、水越松南、中山岩太ほか

  • 森田子龍《坐俎上》1969年

  • 中山岩太《デモンの祭典》1948年(寄託)
あなたにとって
  「前衛」とは⁉
小磯良平記念室・金山平三記念室

小磯良平記念室では、新収蔵品である《踊り子群像》を中心に、戦前における小磯の市井の人々へのまなざしを紹介します。あわせて、《斉唱》をはじめとする戦時中の代表作も展示します。
金山平三記念室では、金山の画業初期、とりわけ1910年代前半の滞欧期にフランス各地を描いた風景画や人物画にフォーカスします。