大阪市生まれの中西勝(なかにし・まさる 1924-2015)が神戸に移り住んだのは1949(昭和24)年のことです。最初期の代表作である《無題》は、その年の二紀展で二紀大賞を受賞した作品で、終戦直後の神戸の闇市に取材したといわれる情景が哀感をもって描かれています。抒情的かつ詩的なこうした作者の側面は、空想の人物と星・月・華を鮮やかな色彩で描いた1980年代以降の作品に引き継がれ、晩年の作品群の核となっています。
また、作者は生涯、政治経済を含む社会と人々の動向を注視し続けましたが、その視線が自身の戦争体験に基づいた、幾分辛辣でアイロニカルなものであることは、1956(昭和31)年の《日本アクロバット》と、その前後の作品において明らかです。人々とその暮らしへの眼差しは、1965(昭和40)年から1970(昭和45)年にかけての世界一周旅行を経て、ヒューマンな傾向を強めると同時に、人間や生命の根源を窺うものとなりました。帰国の翌1972(昭和47)年に第15回安井賞を受賞した《大地の聖母子》(東京国立近代美術館蔵)からはじまる、旅行中に出会った人々や情景を題材とする一連の作品は、より深化した眼差しと注意深く練られた構図によって、60余年に渡る中西の画歴中、重厚かつ重要な頂点をなしています。