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ごぶさたしております。担当Sです。
いつのまにか5月も終わってしまい、梅雨の時期に突入したようです。でも梅雨入り宣言って今年はありましたか?筆者は記憶にないのですが・・・。
さてそういうわけでかなり古いお話になっちゃいますが、どうぞご了承ください。
さる5月28日の土曜日、「カンディンスキーと青騎士」展開催記念としまして、CDコンサート&レクチャー「1910〜20年代に注目!美術と音楽の出会い」を開催しました。
「芸術の館 友の会」との共催事業として開催したこのイベント、事の次第は、カンディンスキーの展覧会を開催するのであれば、それにちなんで、作曲家シェーンベルクらの楽曲を軸としたコンサートもしたい、ということでいろいろと可能性を探っていたのですが実現性に乏しいことが判明し、そこで急きょ筆者に御鉢が回ってきた、というものでした。しかしその後、共催新聞社のご担当者のご尽力により、ピアノ曲を中心としたレクチャーコンサートが実現したのは、以前のこのコーナーでもご紹介したとおりです。
どうでもいい話ですが、筆者、もともと音楽に関心があったこともあり、結構CDを持っておりまして、その中にはシェーンベルクの楽曲も含まれていたのですね。そういうことを職場の同僚たちも知っていたので、このお役目を頂戴したものの、5月8日に開催されたコンサートで実際に演奏された後となると、それと内容が重複するのもいかがなものかと思い、いろいろと悩みました。
いっそのこと中止にすればよいのでは!とも(個人的には)思ったのですが、すでにチラシなどで広報していたこともあり、とにかく内容を考えねば、と前日はパワーポイントの作成に手間取り、最終電車で帰宅した次第です・・・(ちなみにパワポ作成は当日昼までかかってしまいました・・・)。
ともあれ当日は「ま、館職員の自分がしゃべるんやし、参加者が少なくてもどうにかなるかっ」と思いながら会場となるレクチャールームに待機していると、予想に反して参加者の皆さまが来られる来られる。そして参加者の総数約90名!筆者もびっくりしてしまいました。
内容は、画家カンディンスキーと作曲家シェーンベルクが1911年の出会い以前と以後にそれぞれ展開していた作風を並行してご案内することを心がけました。
今回の出品作品であるカンディンスキーの《花嫁》や《ガブリエーレ・ミュンターの肖像》に対しては、シェーンベルクの「グレの歌」のDVDをご紹介。作曲のために特注の楽譜をオーダーしたという伝説を持つ、巨大な編成の管弦楽と合唱、5人の歌手と語り手を有する2時間強の音による大スペクタクルの演奏の合間に筆者が話す話す。
「鎖が出てきましたねぇ。」
「演奏者多いですねぇ。」
「歌ってないですよねこの人。これがいわゆるシュプレッヒシュティンメと言いましてうんぬん・・・」
続いてカンディンスキーの〈印象〉のシリーズ全6点をスライドで映写しつつ、対するシェーンベルクは「弦楽四重奏曲第2番」作品10をご紹介。
「3つのピアノ曲」作品11と並んで、カンディンスキーが耳にして、《印象V(コンサート)》を描くきっかけとなった曲です。弦楽四重奏曲なのに、全4楽章中最後の2つの楽章では声楽が入るという規格外の曲。最初は危ういながらも辛うじて調性(いわゆる「ドレミファ」)が保たれてはいるものの、最後にはついに「無調」(いわゆる「ドレミファ」のない音楽)に到達するというあたり、今回の展覧会でカンディンスキーが「具象絵画から遂に抽象絵画へ」と変化していくのとピッタリではありませんか!
そしてカンディンスキーの〈コンポジション〉のシリーズ全10点をスライドで映写しつつ、一方で『青騎士』年鑑に掲載された楽曲全3曲のうち、シェーンベルクの歌曲「心のしげみ」作品20と、その愛弟子アントン・(フォン・)ヴェーベルンの歌曲「君らは炉辺に歩み寄った」をお聴きいただきました。
「心のしげみ」では完全に無調の音楽となり、用いられている楽器もハープ、チェレスタ(「くるみ割り人形」で用いられていることで有名な、チロリロと愛くるしい音色を奏でる鍵盤楽器)、ハーモニウム(いわゆる足踏みオルガン)とかなり風変わりであることや、途中出てくる高い高いソプラノが、いわゆる表現主義的傾向をはっきり示す部分ではないか、といった話などをしました。
このあたりですでに終了予定時間にほぼさしかかり、最後にまとめに入ります。
「青騎士」時代以降、すなわちカンディンスキーが新生ソヴィエトからドイツに戻りバウハウスで教鞭を執る頃に、いわゆる「幾何学的抽象」の作風に行き着くことで、作品は極度に洗練されたものの「青騎士」時代のむさ苦しいほどの動きを伴った力強さが若干失われたこと、一方のシェーンベルクも、それまでの無調音楽に一定の規則性をもたらそうと試行錯誤し、結果的に「十二音音楽」というきわめてシステマティックな無調音楽に到達したことにより、それ以前の曲とそれ以降の曲とを聴き比べただけではそんなに変化ないように思われるが、そこにはシステムの有無という重要な問題をはらんでいることなど、すなわちカンディンスキーとシェーンベルクがそれぞれ同じような道をその後も歩んでいったことをお話したのでした。
ここでちょうど17時。普通ならば終わるのですが、実は「おまけ」と称して、さらに40分ほどお話をしたのです。ごめんなさい。
カンディンスキーが「総合芸術」と称して、音楽や舞踊と美術を融合させようと常に思いをめぐらせていたものの、実現したのは1928年にムソルグスキーの「展覧会の絵」のための舞台装置のみだったこと、すなわち純粋に芸術的な表現をめざしながらも、それを実際にはほとんど実現させることのできなかったカンディンスキーに対して、1910〜20年代には、パリを中心として「興行」として美術と音楽の融合が難なく行われていたことをご紹介したのです。
「バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)」と「バレエ・スエドワ(スウェーデン・バレエ団)」がそれで、この機会にいくつかの演目の曲と舞台あるいは衣裳をご紹介したのです。
バレエ・リュスからは「三角帽子」(美術はピカソ、音楽はファリャ)と「放蕩息子」(美術はルオー、音楽はプロコフィエフ)を、バレエ・スエドワからは「世界の創造」(美術はレジェ、音楽はミヨー)と「甕」(美術はデ・キリコ、音楽はカゼッラ)、そして「本日休演」(美術はピカビア、音楽はサティ)と映画「幕間」をご紹介。
こちらのいわば「おまけ」は、同時代におけるカンディンスキーとシェーンベルクの「対極」として知っていただきたいと思って用意していたものなのですが、結果的に時間延長にもかかわらず引き続きご参加いただいた方からは「おまけの方が面白かったわ」とおっしゃっていただく始末。
まぁ確かにこちらは「興行」なので面白くない訳はなく、特に「甕」などはほとんど知られていないのではないか、と筆者は心の中で少しほくそ笑んだのでした。
このように盛りだくさん(?)な内容の90分、「おまけ」を入れれば実に2時間10分(!)という今回のイベントに、皆さまご参加いただき誠にありがとうございました。またイベントの開催にご協力いただきました「芸術の館 友の会」をはじめ皆さまにも、この場をお借りして厚くお礼申し上げます。
あっ、ところで肝心の「カンディンスキーと青騎士」展ですが、のこり2週間となってしまいました。まだご覧いただけていない方は、どうぞこの機会を逃さないよう、ご来館を心よりお待ち申し上げております。

多くの方々にご参加いただきました。

「グレの歌」の映像と音を鑑賞中。

「グレの歌」第3部より。吹奏楽か?トロンボーン何本あるの?
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