*本略歴は展覧会図録に掲載される柚花文による作家略歴を元に兵庫県立美術館が簡略化したものである。
1864年 | 2月29日、スイスの首都ベルン南西の街ボーヴィルの貧しい家庭に七人兄弟の末っ子として生まれる。 | |
---|---|---|
1872年 | 8歳 | この頃までに一家はほぼ離散し、ヴェルフリは母とともにボーヴィルから東に約20キロの街シャングナウに送られ、母子は別々の農場に預けられる。その後、農場や大工の家などを転々とする。 |
1873年 | 9歳 | 母アンナが亡くなる。享年51歳。 |
1875年 | 11歳 | 父ヤコブが亡くなる。享年57歳。 |
1881年 | 17歳 | 年間100フランで農場に雇われる。隣家の娘と恋に落ちるが、社会階級の違いから娘の両親に交際を猛反対され、失意のままシャングナウを去る。 |
1884年 | 20歳 | ルツェルンで軍隊に入隊し、1888年頃まで歩兵隊の訓練を積む。その傍ら、農場でも働く。 |
1888年 | 24歳 | ベルンで知り合った19歳の女性と婚約するが、ほどなく女性の母親の反対により婚約破棄となる。その後、下宿先の21歳年上の未亡人に好意を寄せるが彼女のアメリカ移住によってこの関係にも終止符が打たれた。 |
1890年 | 26歳 | 森で見かけた14歳の少女に性的暴行未遂を犯す。数か月後、7歳の少女への性的暴行未遂で捕えられ、ザンクト・ヨハンセン刑務所で2年の刑に服す。 |
1895年 | 31歳 | 3歳半の女児への性的虐待未遂で再び逮捕される。精神鑑定の結果、統合失調症と診断され、ベルン近郊のヴァルダウ精神科病院に収容される。医師に促され半生を綴った「短い自伝」 を書き記す。 |
1899年 | 35歳 | 自発的に絵を描きはじめる。 |
1904年 | 40歳 | 現存する最も古い作品がこの年に描かれる。 |
1907年 | 43歳 | ヴァルター・モルゲンターラー(1882-1965)が精神科医としてヴァルダウ精神病院に着任する。モルゲンターラーは1919年まで同病院に勤める。現存する最古の彩色された作品がこの年に描かれる。 |
1908年 | 44歳 | 物語の要素を持つ作品の制作を始める。この種の作品は1930年にヴェルフリが亡くなるまで継続し、最終的に25,000ページに達した。『揺りかごから墓場まで』の執筆を始める(1912年まで)。同書はヴェルフリ自身の悲劇的な人生を、色とりどりの挿絵で飾られた壮大な冒険譚として語りなおしたもの。 |
1912年 | 48歳 | 『地理と代数の書』の執筆を始める(1916年まで)。ヴェルフリの実の甥であるルドルフ・ヴェルフリに対して、将来に「聖アドルフ巨大創造物」を達成するための方法を指南する内容。それによれば、ルドルフは莫大な「利子がもたらす富」によって天体のすべて、全宇宙を購入し、名前をつけなおし、開発し、専有することが可能になる。 |
1916年 | 52歳 | この頃より作品に「聖アドルフⅡ世」と署名するようになる。現在「ブロートクンスト(パンのための芸術・日銭稼ぎのための作品)」として知られる、一枚ものの販売用作品の制作を始める。 |
1917年 | 53歳 | 『歌と舞曲の書』の執筆を始める(1922年まで)。それは数千ページにおよぶ音声詩や歌、音階、コラージュなどで、「聖アドルフ巨大創造物」を祝福するものである。 |
1919年 | 55歳 | モルゲンターラーがヴァルダウ精神病院を去る。以後マリア・フォン・リース博士がヴェルフリの担当を務める。 |
1921年 | 57歳 | モルゲンターラーがヴェルフリの生涯と作品を論じる『芸術家としての精神病患者(Ein Geisteskranker als Kunstler)』を出版する。 |
1924年 | 60歳 | 『歌と行進のアルバム』の執筆を始める(1928年まで)。これは階名唱法(ドレミファ音階)で表記され素描とコラージュで飾られた楽譜である。 |
1928年 | 64歳 | 『葬送行進曲』の執筆を始める。全16冊、8,404ページにおよぶ本書は自身へのレクイエムであり、未完に終わった。 |
1929年 | 65歳 | 嘔吐を繰り返すようになり、癌が疑われる。 |
1930年 | 66歳 | 3月15日、胃腸吻合術の手術を受ける。11月6日、朝8時10分に逝去。死の4日前にも涙を流しながらもう『葬送行進曲』を描けないことを嘆き悲しんでいた。 |