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ヴェルフリの診察記録によれば、彼がドローイングを描き始めたのは1899年とされる。最初期に描かれた作品は200点から300点程と考えられるが、そのうち現存するのは1904年以降のもので、わずか50点ほどである。
まっさらの新聞用紙に鉛筆で描かれた単色のこれらの作品をヴェルフリは「楽譜(Kompositoin)」と呼び、そこに「アドルフ・ヴェルフリ、シャングナウの作曲家」と署名した。
全9冊、2,970頁におよぶヴェルフリが最初に手がけた叙事詩。752点の絵画とともに語られるのは、主人公の少年ドゥフィ(アドルフの愛称)が、家族とともに世界をめぐる旅行記である。ここではヴェルフリの悲惨な子供時代がわくわくするような物語へと置き換えられている。
「フォーゲリ」と呼ばれる小鳥のようなモチーフが初めて登場するが、これはヴェルフリの分身の保護者のような存在としてその後の作品にも度々に描かれるもので、隠れた空白を埋めていく性的なシンボルともみなされている。
本書は、ヴェルフリの死後に「聖アドルフ巨大創造物」を成し遂げるための方法を実の甥であるルドルフに説くものである。「聖アドルフ資本財産」があれば、全宇宙を買い上げ、都市を形成し、すべてにおいて近代化を遂げることができるという。
同時に、スイスは「聖アドルフ森」、海は「聖アドルフ洋」、アフリカは「聖アドルフ南部」などと改称される。地球の乗っ取りに成功した暁には「巨大透明輸送機」に乗って宇宙へと漕ぎ出していく。
ヴェルフリは「聖アドルフ巨大創造物」を祝福する楽曲として、7,000頁以上にわたる途方もない長さの行進曲、ポルカ、マズルカのシリーズを作曲した。
曲は階名唱法(ドレミファ音階)で書かれている。それらを飾る作品としては、素描よりも雑誌の切り抜きのコラージュが多い。
全16冊、8,000頁を超える『葬送行進曲』はヴェルフリが自らに向けたレクイエムとも言われる。ここでは、抽象的かつ音声詩の形式による音やリズムが、物語にほとんどとって代わっている。ヴェルフリの創作の第五部にあたる本書は、1930年の彼の死により未完に終わった。
ヴェルフリの精神科医ヴァルター・モルゲンターラーが「ブロートクンスト(パンのための芸術)」と名付けたドローイングはおそらく1,000点以上描かれ、そのうちの750点が現存する。一部のコラージュを除き、多くは色鉛筆で一枚ずつ独立したシートに描かれた。裏面には「聖アドルフ巨大創造物」の物語にまつわる記述がある。
ヴェルフリ自身は「肖像画」と呼んだこれらのドローイングを色鉛筆やタバコと交換し、さらに精神病院の職員や彼の創作を称賛しに訪れる人々に売っていた。