2013年撮影
1918(大正7) 年 | 東京都麹町区平河町に生まれる |
1923(大正12)年 | 自宅で関東大震災を体験 |
1936(昭和11)年 | 自宅近辺で起こった2.26事件を間近に体験する 女子美術専門学校(現・女子美術大学)の師範科日本画部に入学 |
1939(昭和14)年 | 先鋭的な日本画団体である新美術人協会展(第2回)に初入選 |
1948(昭和23)年 | 第1回創造美術展に入選、奨励賞を受賞。以後、創造美術につづく団体である新制作協会、創画会で作品を発表 |
1952(昭和27)年 | 第2回上村松園賞を受賞 1950年代には絵本、童話の挿絵制作も精力的に行う |
1961(昭和36)年 | 初めて海外を旅行、1964年にかけてエジプト、ヨーロッパ、 アメリカ、メキシコ等を廻る |
1967(昭和42)年 | 大磯に転居 |
1979(昭和54)年 | 軽井沢にアトリエを構える |
1987(昭和62)年 | イタリア、トスカーナ地方のアレッツォ近郊にアトリエを構える(1992年まで) |
1995(平成7) 年 | アマゾンの熱帯雨林、メキシコのタスコ、マヤ遺跡を訪れる |
1997(平成9) 年 | ネパールを旅行 |
1998(平成10)年 | ヒマラヤ、ペルーを旅行 ヒマラヤへは翌99年、2000年にも訪れる |
1999(平成11)年 | 創画会を退会 |
2001(平成13)年 | 解離性動脈瘤でたおれたが回復する |
2004(平成16)年 | 雑誌『サライ』に「命といふもの」の連載を始める |
2014(平成26)年 | 福島空港旅客ターミナルビルに同名の作品(2001年) を原画とした陶板レリーフ「ユートピア」が完成 |
女子美術専門学校に入学し、本格的に絵に取り組み始めた最初期から、当時の先鋭的な日本画の動向を受容しながら、身近な動植物や風景を対象に独自の世界を築いていく時期の作品を紹介します。
《山の思い出》1955年 第19回新制作展 個人蔵
《霧の野》1960年 第24回新制作展 東京国立近代美術館蔵
《高原》1952年 中央大学蔵
《月と猫》1950年頃 個人蔵
《仮面と老婆》1966年 第30回新制作展 個人蔵
1961年に初めてヨーロッパに渡った堀は、西洋の風土や歴史を見聞する中で、自らの原点が日本の風土にあることを実感します。メキシコでは素朴な生活や風土に共感しつつも自己の立ち位置を確信、従来の日本画にはない表現を模索し独創的な作品が描かれました。
ものを創る人間は都市に住んではいけない−と感じた堀は、絵画制作に真摯に向き合うべく大磯移住を決意します。周囲の豊かな自然や、親密で身近な対象を、豊かな色彩と力強い造形で描き出しました。
1979年軽井沢にアトリエを持ち、大磯と往き来する生活を始めた堀は、浅間山を正面から見渡せるアトリエで、雄大な自然を対象とした風景画の大作を発表しました。70年代から80年代にかけては日本の移ろいゆく四季の表情を端正で繊細な筆致で描写した、風景画の名作が数多く生まれています。
《トスカーナの花野》1990年 個人蔵
日本での「浮き足だったバブル景気に嫌気がさし」て、堀は単身イタリア、トスカーナ地方の都市 アレッツォ近郊にアトリエを構えることを決意します。画家68歳の年でした。イタリアでの制作は堀の絵画表現の可能性を更に拡げることとなります。イタリアの風物を色鮮やかに描いた一連の作品からは、何にもとらわれない、画家の自由な精神を見てとることができます。
1992年、イタリアのアトリエを引き払った堀は、新たな出会いを求め、旅を重ねます。アマゾンの熱帯雨林、メキシコのタスコやマヤ遺跡、ヒマラヤ、ペルーのインカ遺跡などを旅し、旅先での発見や驚きを作品に残しています。
《ユートピア》2001年 個人蔵
《アフガンの王女》2003年 個人蔵
《葉きり蟻の行進》2001年 個人蔵
《幻の花 ブルーポピー》2001年 個人蔵
堀文子の探求心と好奇心はとどまるところを知りません。広大な風景からミジンコなどの極小な生き物まで、堀はあらゆる対象に意欲的に挑み、独創的な世界を築いています。一つの場所、表現、対象に安住しない孤高の旅人として、堀は新たな世界を求め、歩み続けています。
《幼生達の集い》2008年 個人蔵
《白山吹と雑草》2014年 個人蔵
1950年代から70年代にかけて、堀文子は絵本をはじめ童話の挿絵などを精力的に手がけました。そこには絵本や児童書を通じて、子どもたちに最高のもの、立派なものに触れてほしいという思いが込められており、やさしい色遣いで描かれた詩情あふれる世界が繰り広げられています。絵本『くるみわりにんぎょう』は1972年、第9回イタリア・ボローニャ国際絵本原画展でグラフィック賞を受賞しました。堀文子はまた、女子美術専門学校卒業後、東京帝国大学農学部作物学研究室で約2年間記録係を務めましたが、微細に植物を観察しそれらを緻密にスケッチするという経験は、その後の制作におけるひとつの礎となったと思われます。本章では、絵本や挿絵の仕事、スケッチ等を展示し、画家堀文子のもうひとつの世界に迫ります。