「類は友を呼ぶ」展は、類似した作品を比べながら鑑賞する展覧会です。
作品は一点一点個々に見るのが鑑賞の基本といえます。ただ、いくつもの作品が並ぶ展覧会では、展覧会を作る側も見る側も作品同士を関連づけて見たり、考えたりすることはよく行っています。今回は、この傾向をいつもよりも少し強く押し出した展覧会を開催します。作品を比べることで、共通する点が浮き上がったり、逆に個々の独自性が明らかになったりするならば幸いです。
(※いずれも摩擦の強い線の作品)
最初の章では、線に特徴のある絵画、版画を展示します。絵の基本的な要素である線は、細い、太いからはじまり、フリーハンドや定規によるもの、滑らかなものや摩擦の強いものなどさまざまで、絵の多様性を作り出す要素のひとつです。また、かたちや空間を作り出すことも線の役割のひとつです。
(※いずれも光と影が対比的な作品)
この章では、作品の基本的な構成が捉えやすい、2つの項(領域)からなる作品を並べます。2項はいろいろなレベルで確認することができます。上下や左右の分割といった形式的なこともあれば、光と影、天と地、屋内と屋外など、描かれた内容のこともあります。
(※いずれも仰ぎ見るタイプの作品)
見る側と作品との関係のあり方のひとつとして、視線を向ける方向に注目します。作品を仰ぎ見る場合と見下ろす場合です。こうした視線の向け方は、作品から受ける印象にも影響を与えるかもしれません。
(いずれも遠景の人物を描いた作品。人物は黒だったり、白だったりする。)
明治の終わりから昭和の前半にかけて、創作版画の動きがありました。創作版画は、絵師、彫師、刷師らの伝統的な分業体制ではなく、ひとりの芸術家がすべての過程をこなして制作する版画のことです。ここでは、白と黒の対比が明快な木版画を並べます。海や太陽など同じモチーフでも、版画によっては黒にも白にもなりえます。
(※いずれも、画面の中心に遠近感の強い道を配置した作品)
当館の一大コレクションである金山平三(1883-1964)の風景画の中でもとくにモチーフの取り上げ方やその構成の仕方が似ているものをいくつかまとめて並べます。時期が違うのに、よく似たものもあります。それらは、金山が長年の経験で培った美的なパターンといえるかもしれません。
(※いずれも不透明の作品)
絵画を、窓から見える景色にたとえることがあります。それは、絵具の物質性をほとんど感じさせない、光に満ちたイメージといえます。一方、物質そのものを前面に押し出した絵画もたくさん作られてきました。この章では、支持体から絵具までの透明・不透明の絵画(版画を含む)を並べ、その多様性を示します。
(※いずれも文字のみの作品。内容上では、画面から広がる場合と、
画面の中に収斂する場合)
絵画や版画の中に文字のある作品を並べています。「読む」文字は「見る」絵の中でどのような役割や意味をもつのでしょうか。多くは、文字自体デザイン化されて、画面の中で「見る」ものになります。一方、画面に文字が入ることで、絵はただ見るだけで終わらない内容を取り込むことがあります(絵はもともと視覚的内容がすべてというわけではありませんが)。
(※いずれも、画面の組み合わせ方に特徴のある作品)
ここに並べるのは、面がいくつか組み合わされた作品です。面はひとつの単位として捉えることができます(本展に展示していませんが、日本の屏風はそうした例のひとつです)。面の組み合わせ方がユニークなものもあれば、面の組み合わせと描かれた内容とがうまく関係するものもあります。
(※人体彫刻の例と、既製品を使った例)
当館の収集の柱のひとつである近・現代彫刻を紹介します。近代彫刻では、ロダン(1840-1917)からジャコメッティ(1901-1966)までの人体彫刻を、現代彫刻では、主に既製品を用いたり、既製品によく似たりする彫刻を展示します。
(※いずれも、既製品を集積した作品)
最後の章では、既成の物を集合させたり、積み上げたりした彫刻を主に並べます。集まっている個々の物がなんであるか明快なので、個々の物と、それらでできあがる全体との関係が捉えやすいのです。つまり、このタイプの作品は、作品自体の中に比較を促す力が宿っているのでしょう。
神戸生まれの小磯良平(1903-1988)は、日本近代洋画の巨匠のひとりです。優美で気品のある人物像は、現在も私たちを魅了することでしょう。昨年寄贈された《踊り子》や戦後の群像画である《歩む男達》のほか、アトリエの様子を描いた作品などを展示します。
神戸生まれの金山平三(1883-1964)は風景画家として優れた才能を発揮しました。今回の展示では、彼の風景画を「山のある風景」、「水のある風景」、「都市の風景」、「人々の営み」の4つに分類します。