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台展・府展と台湾の近代美術

1895 年に日本に割譲された台湾では、1927 年から、台北で台湾美術展覧会(台展)が開かれました。1938 年から主催が変わり、台湾総督府美術展覧会(府展)と呼ばれています。
朝鮮美展と同様、台展・府展においても、「台湾らしさ」が追求されています。それらは、日本人審査員からの要望であると同時に、自分自身の在り方をめぐる問いでした。伝統文化と台湾社会の近代化を見つめ、郷土の風景を明るい色彩で描き出した作品には、「地方色(ローカル・カラー)」が表れています。

郭雪湖(グオ・シュエフ)《円山付近》1928年 台北市立美術館
郭雪湖(グオ・シュエフ)《円山付近》1928年 台北市立美術館
林玉山(リン・ユイシャン)《故園追憶》1935年 国立台湾美術館
林玉山(リン・ユイシャン)《故園追憶》1935年 国立台湾美術館
陳澄波(チェン・チェンボー)《初秋》 1942年 財団法人陳澄波文化基金会
陳澄波(チェン・チェンボー)《初秋》 1942年 財団法人陳澄波文化基金会

ピックアップ

陳進(チェン・ジン)《アコーデオン》 1935年 台北市立美術館

流行のチャイナドレスをまとう女性。
伝統文化に根ざしつつ西洋的な教養も身につけたモダンガールの姿は、女性画家である陳進にとって、自己の表現でもありました。

陳進(チェン・ジン)《アコーデオン》 1935年 台北市立美術館
塩月桃甫 《ロボを吹く少女》 1924年 宮崎県立美術館

この章には、台湾・府展の創設に尽力し、台湾人画家を指導した日本人作家も含まれています。
塩月桃甫は台北第一中学校と台湾総督府高等学校で教鞭をとり、台展の創立に参加しただけでなく、初回から最終回まで西洋画部の審査員をつとめました。

塩月桃甫 《ロボを吹く少女》 1924年 宮崎県立美術館