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展示構成

美術評論家、中原佑介と読む戦後美術

1931年、神戸市生まれの中原佑介(本名:江戸頌昌えどのぶよし)は、日本を代表する美術評論家のひとりです。神戸市立成徳国民学校、兵庫県立神戸第一中学校を卒業し、戦後、旧制第三高等学校理科、京都大学理学部へ進学、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹教授のもとで理論物理学を研究しました。本展では、そんな異色の経歴の持ち主でもある彼の残した数々の言葉を手引きに、当館のコレクションを紹介します。

美術批評と中原佑介の誕生
(3階 展示室2)

1952年から5年間、美術出版社より刊行された月刊美術誌『美術批評』。1955年5月発刊の本誌第41号に、第2回美術評論募集で第一席に選ばれた「創造のための批評」が掲載されています。執筆名義を変えてこの評論を応募したのが、当時23歳、宇宙線に関する修士論文を執筆中の江戸頌昌でした。江戸はこの受賞を機に、“中原佑介”として美術批評の世界へと足を踏み出します。

出品作家:
加藤太郎、浜口陽三(前期展示)、浜田知明ほか
序文、展評、作家論・・・
(3階 展示室2)

中原は『美術批評』の他にも、『美術手帖』、『三彩』、『みづゑ』といった美術雑誌、読売新聞の展評コーナー、画廊で開催された個展のカタログ序文などを担当し、高度経済成長期を生きた同時代の作家たちの作品について膨大な評論を残しました。第2章では1960年代から1970年代にかけて中原が取り上げてきた国内外の作家を、当館のコレクションから一部紹介します。

出品作家:
山崎つる子(後期展示)、フランシス・ベーコン(前期展示)、ピエロ・マンゾーニほか
物質から空間へ
(3階 展示室2・3)

中原は美術評論家として美術作品を分析して文章を書くだけではなく、やがて現在でいうキュレーターのように作家や作品を選び、展覧会を企画するといった仕事にも携わるようになります。そのひとつが、1963年に東京の内科画廊のこけら落としとして企画された「不在の部屋」展でした。第3章ではあわせて、他の美術評論家や作家たちと交わした「影」に関する議論を紹介します。

出品作家:
赤瀬川源平(後期展示)、高松次郎、ジャスパー・ジョーンズほか
現代彫刻
(3階 展示室3)

第4章では、中原が残した数多くの著作の中から、1965年に角川書店より出版された『現代彫刻』を取り上げます。当時33歳、中原にとって2冊目の単著となった本作においても、デビュー作「創造のための批評」以降、繰り返し用いられてきた「物質」という言葉が登場します。「物質」との関係を捉えなおし、多様に展開していった20世紀の彫刻を論じた、中原の代表作です。

出品作家:
山口勝弘、アレキサンダー・カルダ―、ルイーズ・ネヴェルスンほか
人間と物質のあいだへ
(3階 展示室3・1)

中原の代名詞とも言える仕事のひとつが、1970年に開催された第10回日本国際美術展(東京ビエンナーレ)「人間と物質」です。コミッショナーを務めた中原によって、国内外から新進気鋭の現代美術作家40名が集められました。出品作家の平均年齢は開催当時31歳。彼らの多くはその後、コンセプチュアル・アート、ミニマリズム、アルテ・ポーヴェラ、もの派といった文脈のなかで、美術史に名を残すことになります。

出品作家:
河原温(後期展示)、小清水漸、松澤宥ほか
コミッショナー・中原佑介
(3階 展示室1)

中原はしばしば、同じく『美術批評』を出発点に戦後の美術を論じてきた針生一郎、東野芳明と並んで“美術評論の御三家”と呼ばれてきました。まだ全国に美術館が少なかった時代に、現代美術の現場において大きな影響力を持った3人です。ヴェネチア・ビエンナーレをはじめとする国際美術展において、日本を代表して作家を選出し、展覧会を企画する“コミッショナー”を歴任してきたこともまた、「御三家」と呼ばれる要因のひとつかもしれません。

出品作家:
辰野登恵子、李禹煥、山本容子ほか
元館長・中原佑介のことば
(3階 展示室1)

京都精華大学学長や、水戸芸術館美術部門芸術総監督を歴任した中原は、晩年、美術史家・木村重信の後任として兵庫県立美術館の2代目館長を務めました。2006年4月から2010年3月までの在任期間中には、コレクション展Ⅲ 特集展示「没後10年-菅井汲」(2006-07年)や、特別展「河口龍夫-見えないものと見えるもの―」(2007年)を通して、40年来の交友のあった同郷の作家たちについて語っています。

出品作家:
河口龍夫、菅井汲

中原佑介の初期作「日本近代美術史」(2階展示室)

美術評論家として同時代の美術を取り上げることの多かった中原ですが、デビューまもない1957年から58年にかけて、『美術批評』ついで『美術手帖』で「日本近代美術史」を連載しています。2階の展示室では、「日本近代美術史」の問題意識を念頭に、当館収蔵の日本近代の作品を展示します(中原は日本画の作家・作品にはほとんど言及していませんので、洋画作品を中心になります)。

元館長・中原佑介のことば
 

1957年の上京まで関西で過ごし、画家になりたいと思っていたとされる中原ですが、デビュー以前の美術に対する具体的な興味・関心や鑑賞体験についてはよくわかりません。館長時代も小磯・金山両作家に対する発言はほとんどなく、よって、その言葉とともに小磯・金山作品を見るのはかなわないのですが、デビュー直後の展評では小磯のいた新制作協会展などもとりあげていますので、中原も若いころは小磯作品に接したことがあったという前提で、今回の展示では「日本近代美術史」執筆の頃、つまり1950年代から60年代にかけての小磯良平の作品を主に展示します。金山平三についても同様とし、1956年の『画業五十年展』出品作を中心にとりあげます。

常設展示室6
 

中原は、「日本近代美術史」は様々な事柄やできごとを羅列する「年表」をもとに組み立てられた「幻想」に満ちている、と言います。工部美術学校で西洋画の技術教育がはじまり、西洋の芸術思潮が移入され、展覧会がはじまり、美術団体ができ、作家が西洋に留学・遊学しいろいろなものを持ち帰り、そうしてさまざまに西洋美術に影響を受けながら進んできた・・・というような理解からはじめても何も面白いことはないし、リアルじゃない!とかなり怒っているのです。この展示室では、1950年代若き美術評論家が日本の近代美術に抱いたこの怒りを念頭に、令和7年度の新収蔵品を交えながら当館の近代洋画の名品を展示します。