開館10周年記念「日本の印象派・金山平三」展 2012年4月7日(土)から5月20日(日)まで
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 神戸花隈で育った金山平三はやんちゃで腕白な少年時代を過ごしますが、東京美術学校に入学してからは一転、真面目な画学生となってトップの成績で卒業します。師の黒田清輝(1866‐1924)からも大いに目をかけてもらいますが、神戸に帰って私費留学の準備を進め、1912(明治45)年1月、パリに向けて神戸港を出発しました。

  《自画像》1909年 東京藝術大学蔵

ヨーロッパ各地に滞在して写生に励むとともに美術館を見て回り、パリのアトリエではモデルを使って描くなど充実した滞欧生活を送って帰国したのは1915(大正4)年10月のことです。帰国後、1916(大正5)年の第10回文部省展覧会(文展)には滞欧作1点と小豆島内海で描いた《夏の内海》を出品し、見事後者が特選となりました。本作品は文部省に買上げられ、現在東京国立近代美術館の所蔵品となっています。

  《夏の内海》1916年 東京国立近代美術館蔵

ヨーロッパから帰国して最初に足しげく通うようになるのは信州の下諏訪です。年末年始を神戸で過ごしたあと下諏訪に向かい、氷が厚くはる諏訪湖でスケートする人々をまず描きました。冬の短い日、お昼を過ぎてはや陽が傾きはじめる一瞬とすばやく動く人々の様子が的確に描かれています。

  《習作(氷すべり)》1917年 兵庫県立美術館蔵

東京の下落合(現在の新宿区中井)にアトリエを構えた金山平三は、中央本線沿いの各地、軽井沢、長野を経て新潟、北陸の海沿いまでさまざまな写生地を開拓し、雪景色を中心とする冬の風景を描きました。雪が雑多なものを覆い隠し単純な量感を出現させること、冬枯れの景色によって統一的な色彩を得られることに魅力を感じるとともに、天候と時間によって変化するそれらにも眼を奪われていたことでしょう。なかでも、戦前に通い始め終戦時に疎開し一年を通じて住んだ山形県大石田は別格の写生地で、風景の中の人々と生活にあたたかい観察の目を注いで、季節や天候、一日の時間の変化を描ききりました。



《平穏村》1935-45年 兵庫県立美術館蔵


《大石田の最上川》1948年頃 兵庫県立美術館蔵



《山仕事の帰り》1942年 山形美術館蔵

風景と季節にふさわしい色と形と構図を鋭く見つける金山平三の写生地のレパートリーは驚くほど広く、実に北海道から九州・沖縄にまで及んでいます。また、雪景色だけでなく、長い冬が終わり浅い春の到来を感じる一瞬も好んで絵にしています。戦後は大石田を拠点に青森県十和田湖にも本格的に通うようなり、大石田の雪景色とは異なる色彩と構図を獲得します。



《洞爺湖》1939年 兵庫県立美術館蔵


《一番桜》1954年 兵庫県立美術館蔵



《桂》1945‐56年 兵庫県立美術館蔵

画壇から距離をおいて制作を続けた金山ですが、1956年(昭和31)の「画業五十年金山平三展」で自選の二百数十点を披露し好評を得たことから、翌1957年(昭和32)には日本芸術院会員に任命され日展顧問にも迎えられました。制度上の名誉には関心を持たない金山平三でしたが、その後も描きためていた芝居絵を含む旧作と新作を発表し、作品保管のための準備に余念のない晩年を送りました。



《凧揚げ》1957‐1961年 川崎重工業株式会社蔵


《ガントリークレーン造船所》1953年 川崎重工業株式会社蔵


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