20世紀最初の10数年間に新たな絵画世界を開拓したカンディンスキーらの表現の展開を、年代を追ってたどれるよう構成しています。
序章では、カンディンスキーが絵を学んだ19世紀末ミュンヘンの芸術的環境を紹介すべく、当時活躍していた二人の画家の作品を展示します。レンバッハは当時、偉大な肖像画家と見なされ、その邸宅がレンバッハハウス美術館となりました。シュトゥックはカンディンスキーやクレーの絵の先生でした。
カンディンスキーは、美術アカデミーでシュトゥックに師事しますが、旧弊な美術教育に反発し、仲間とともにファーランクスというグループを結成します。このグループが開設した絵画教室の生徒のなかに後に伴侶となるガブリエーレ・ミュンターがいました。カンディンスキーとミュンターは、オランダやドイツ、フランスなど各地を旅しながら、制作に励みます。
ヴァシリー・カンディンスキー
《花嫁》1903年
ヴァシリー・カンディンスキー
《ガブリエーレ・ミュンターの肖像》1905年
長い旅の後、ミュンヘンに帰ってきたカンディンスキーとミュンターは、ミュンヘンの南西、バイエルン・アルプスふもとの小さな村ムルナウを発見します。その美しさに魅せられた二人は友人の画家夫婦ヤウレンスキーとヴェレフキンをこの村に呼んで、共同で制作を行いました。近代美術の歴史を変えた、色彩豊かで大胆な新しい絵画表現は、この村で始められたのです。
ヴァシリー・カンディンスキー
《ミュンヘン−郊外》1908年
ヴァシリー・カンディンスキー
《ムルナウ近郊の鉄道》1909年
ガブリエーレ・ミュンター
《マリアンネ・フォン・ヴェレフキンの肖像》1909年
©BILD-KUNST,Bonn&APG-Japan/JAA,Tokyo,2011
カンディンスキーは、より急進的な表現を進め、穏健派の画家仲間との確執が表面化します。彼は盟友マルクらとともに新たなグループを結成、来たるべき芸術のあり方を指し示した画期的な展覧会、第1回青騎士展は、1911年12月に開催されました。1914年大戦勃発により離散を余儀なくされるまで、彼らはそれぞれ注目すべき活動を展開し、カンディンスキーは、抽象絵画という未曾有の表現に到達します。
ヴァシリー・カンディンスキー
《印象III(コンサート)》1911年
フランツ・マルク
《牛、黄―赤―緑》1911年
フランツ・マルク
《虎》1912年
アレクセイ・ヤウレンスキー
《成熟》1912年頃
ヴァシリー・カンディンスキー
《「コンポジションVII」のための習作2》1913年
作品はいずれもレンバッハハウス美術館蔵。 Städtische Galerie im Lenbachhaus und Kunstbau München
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