小松益喜《元居留地風景(伊藤町)》1939年 油彩・布
島袋道浩《そしてタコに東京観光を贈ることにした》
2000年 パフォーマンス/ビデオ・インスタレーション
慶応3年12月7日(西暦でいえば1868年1月1日)、神戸開港。えっ!開港したのは兵庫ではないの?というややこしい話はさておいても、外国と直接交通できる港を擁し、外国人居留地が設けられた神戸は爾来エキゾチックな町です。「舶来」という言葉も魅惑的なKOBEに関係する作品を紹介します。
1995(平成7)年1月17日に発生した阪神淡路大震災に関連する吉見敏治(1931- )、西田眞人(1952- )、福田美蘭(1963- )の作品を展示します。
ここに紹介する小坂象堂(1870-1899)、天岡均一(1875-1924)、桜井忠剛(1867-1934)は、それぞれ三田、出石、尼崎の出身です。三田と出石は江戸時代後期から陶磁器の生産が盛んなところで、小坂と天岡もそうした前近代からの産業に関係していたようです。尼崎藩主の家系に生まれた桜井の描く《能道具図》には、自身の出自にまつわる思いが隠されているのかもしれません。
白滝幾之助(1873-1960)、和田三造(1883-1967)、青山熊治(1886-1932)といった中央画壇で活躍する画家を相次いで輩出した鉱山の町、生野。「こんなにつぎつぎ」というのは日本全国を見渡しても珍しい事例かもしれません。ここでは、3人による男性肖像画を展示し、それぞれの才能が背負った期待の地平を考えます。
1977(昭和52)年、当時神戸市長田区在住の榎忠(1944- )は、毛髪、眉毛、脇の毛など、右半身の体毛を全て剃り上げました。いわく「半刈り」。そして、そのままハンガリーに旅行しました。10ヶ月ぐらいすると毛が生えてきたので、今度は左半身を剃り上げました。榎が「半刈り」状態だった約3年は、ひょうご近代150年の芸術における画期といえるでしょう。
兵庫県立第二神戸中学校(現・兵庫高等学校)は幾人かの著名な画家を輩出しています。中でもとりわけ小磯良平(1903‐1988)、東山魁夷(1908-1999)という昭和の国民画家ともいえる二人の存在は圧倒的です。ここでは、、同校同窓会組織である武陽会より昨年度ご寄贈いただい小磯良平、東山魁夷、古家新(1897-1997)、田中忠雄(1903-1995)の作品を中心に展示します。
明石に住んで、関西学院普通学部(中学部)に学んだイナガキタルホ(稲垣足穂、1900-1977)の最初の著作『一千一秒物語』は、1920年代のモダニズムの空気を反映しながらも、終生続くタルホの異才ぶりを伝えてやみません。ここでは、カフェ、お月様、シネマなどタルホと同じ語彙を持つ版画家、谷中安規(1897-1946)の作品、1970年代にタルホを再発見することで自作を展開した中馬泰文(1939- )などの作品を展示します。
県政100年記念事業計画のひとつとして建設が進められた当館の前身である兵庫県立近代美術館は、1970(昭和45)年に開館しました。開館当初の収集方針のひとつが、彫刻と版画でした。このセクションでは、常設展示室5の1室全部を使用して、当館収蔵品の中から近現代の彫刻作品の名品を展示し、それに関係する版画作品を展示します。
神戸生れの小磯良平ですが、生家と養家は三田藩の重臣の家系でした。ここでは、小磯と三田の関係を端的に示す三田学園所蔵の《放つ》(寄託品)を展示し、あわせて1962(昭和37)年10月に、朝日新聞紙上で掲載された「新人国記・兵庫県」の挿絵原画、小磯が東京藝術大学教授時代に新設した版画科に関係の深い駒井哲郎(1920-1976)、中林忠良(1937- )の版画作品を特別に展示します。
金山平三の父、春吉は淡路島出身。若い頃から神戸に出て、海岸通にある蓬莱舎旅館の番頭をしていました。春吉は、ほぼ全財産をはたいて息子を約4年間のヨーロッパ遊学の旅に出したほか、東京暮しの平三が帰神した際は、自ら包丁を握って手料理を食べさせたといいます。金山平三にとって、神戸とは父の愛そのものだったかもしれません。ここでは、父春吉と神戸にまつわる作品を展示します。
日本画の巨匠、松岡映丘(1881-1938)と橋本関雪(1883-1945)は、それぞれ現在の福崎町、神戸市に生れましたが、最終的には画壇の中心である京都と東京で活躍しました。対して、村上華岳と小出楢重は、京都にいったん出ながら、あるいは生地である大阪で暮らしながら、それぞれ神戸、芦屋に居を構えることで晩年の傑作をものしました。ここでは、そうした4人の画家の作品と郷里で制作を続けた森月城(1887-1961)と乾太(1929-)の作品を展示します。※森月城、乾太作品は後期展示(9/4-11/3)。
1950年代は芸術家どうしの交流が盛んな時代です。海外からの情報が絶たれ、芸術的な活動が制限されざるを得なかった戦争期の反動ともいえるでしょう。ここでは、書と絵画に焦点をあて、上田桑鳩(1899-1968)、森田子龍(1912-1998)、吉原治良(1905-1972)、津高和一(1911-1995)らの作品を展示し、50年代から70年代の交流の一端を紹介します。
1928(昭和3)年、神戸市中央区山本通3丁目に国立移民収容所が建設され(「収容」の語が不適切なので名称は変化していきます)、南米、特にブラジルへの移住者がここを経てかの地へと渡っていきました。ここでは、戦前にブラジルに移住し、そこで絵を志してグループ「聖美会」を結成し、制作を続けた画家の作品を展示します。