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2024年9月28日[土]-12月1日[日]

展覧会構成

1
知性と品性、感性を磨く ―資生堂デビューと新しい女性像の創造―

働く女性がまだ少なかった時代、東京藝術大学を卒業した石岡瑛子は資生堂宣伝部に就職し、デザイナーとしてのキャリアをスタートします。男性の“愛玩物”としての女性像に疑問を抱いた石岡は、サマーキャンペーンで、当時の広告で主流だった人形のような美人のイメージを覆す、健康的で意志的な女性像を打ち出すなど、新しい価値観を提示しました。


「太陽に愛されよう 資生堂ビューティケイク」資生堂ポスター(1966)
2
あの頃、街は劇場だった ―1970’s 渋谷とパルコ、広告の時代―

池袋や渋谷にファッションビルを建て、街そのものを劇場と捉えて文化イベントや出版事業を多角的に展開したパルコ。1970年にフリーランスとなった石岡は、1973年に渋谷パルコが開業するとメインのキャンペーンを総括し、「新しい時代」の象徴としてのパルコのブランドイメージを築く上で中心的な役割を担っていきます。


「鶯は誰にも媚びずホーホケキョ」PARCO ポスター(1976)

「あゝ原点。」
PARCOポスター(1977)

「女性よ、テレビを消しなさい 女性よ、週刊誌を閉じなさい」
角川書店ポスター(1975)
3
着地は熱情であらねばいけない ―裸のアートワークに映る私―

石岡の前半期の活動は「広告」を中心に語られますが、ここでは、学生時代に作った絵本や東京藝術大学時代の裸体デッサン、新人デザイナーの登竜門・日宣美の出品作やギャラリーの企画展作品など、広告以外の仕事を取り上げます。石岡は、仕事において完璧なパフォーマンスを達成するため、また「私」を引き出すために、終生、知性・品性・感性・美意識を磨き続け、枠にとらわれることなく表現力を洗練させていきました。


シンポジウム:現代の発見 1,2,3 日宣美賞受賞作品(1965)

「NEW MUSIC MEDIA」
音楽祭ポスター(1974)

「POWER NOW」
展覧会のためのポスター(1968)
4
本も雑誌もキャンバスである ―肉体としてのブックデザイン―

フリーランスになって以降、石岡が力を入れていた領域がブックデザインです。表紙やカバーといった「衣」だけではなく、紙質やサイズ、文字組みなどのボディ(本体)はもちろん、時に骨格たる企画、内容にまで関わりました。まさに“肉体”としてのブックデザインといえるでしょう。そして、石岡にとっての究極のブックデザインは、自身の作品集『EIKO BY EIKO』でした。同書は日米同時出版され、ジャズの帝王マイルス・デイヴィスやアップル創業者スティーブ・ジョブズなど多くのアーティストや経営者のハートをとらえ、石岡の米国デビューを強力に後押ししました。

5
地球のすべてが私のスタジオ Iアイ デザインは境界も時代も超える―

本章では、1970年代以降のエンターテインメント分野におけるグラフィック・デザインの仕事を中心に紹介します。美術監督として関わった映画「MISHIMA」(1985)ではカンヌ国際映画祭芸術貢献賞、マイルス・デイヴィスのアルバム「TUTU」(1986)ではグラミー賞最優秀レコーディング・パッケージ賞、映画「ドラキュラ」(1992)では衣装デザインでアカデミー賞を受賞するなど、石岡は様々な分野で最高の評価を受けました。石岡は、衣装やセットデザイン、展覧会の企画などの仕事においても、多くの場合宣伝ヴィジュアルまで手がけており、1枚の告知ポスターの中にも「Iデザイン」のエッセンスを見てとれます。


「地獄の黙示録」映画ポスター(1979)

マイルス・デイヴィス
「TUTU」レコードジャケット(1986)

「ドラキュラ」映画ポスター(1992)