1937年からの日中戦争によって、日本は戦争に突き進みます。戦争の影はいたるところでみられますが、軍需景気もあって、一部ではまだ華やかさを残していました。1930年代から続くモダンな世界を代表するのは、中西利雄や小磯良平などの女性像、松本竣介の、都市の断片をコラージュしたような風景画です。
日本が軍事的に進出した場所は、画家によって描かれました。とくに日本による傀儡(かいらい)国家、「満州国」には多くの人々が行き来したので、作品もたくさん残されています。ここでは、古家新、森堯之、前田藤四郎の絵を紹介します。
日中戦争、アジア・太平洋戦争中に描かれた戦争画をいくつか紹介します。藤田嗣治や中村研一のような従軍画家、山下菊二のような一兵卒として従軍した画家では、描かれた内容も異なっています。
香月泰男が「満州国」のハイラルから送った軍事郵便には、家族を思う文章と大陸の風物が書(描)かれています。
軍国主義の日本では、神話に基づいた、イデオロギーの強い世界観が打ち出されました。一方、個人の世界観を作品の中にとどめようとした作家もいました。後者では、靉光、北脇昇らの作品を展示します。
ここでは、銃後の人々、訓練中の少年兵、遺族、戦死者、出兵式などの様々な営みを描いた作品を通して、過酷な時代を捉えます。女流美術家奉公隊が銃後の女性を描いた大作、《大東亜戦皇国婦女皆働之図(春夏の部)》も展示します。
敗戦は、人々に様々な感慨をもたらしました。捕虜となった水木しげるが描いたデッサンは、南方の人々や風景をモチーフにしたことも関係するのでしょうか、戦争が終わった喜びにあふれています。一方、洋画の重鎮、石井柏亭は、杜甫の詩を題名にした《山河在》で、人間の営みのはかなさに対する、自然の不変性を表現しています。 焼け野原となり、廃墟が広がる都市風景を描く画家もいました。戦後は、廃墟から始まったのです。
ここでは、戦後の風俗を描いた作品を紹介します。また、いくつか女性像を描いた作品も並べます。
その中で、丸木俊の裸体女性像は、たくましい人間の原像のようです。
戦中の統制で押さえられていた前衛美術の復活は、戦前から活躍していた福沢一郎、吉原治良、岡本太郎、桂ゆき、鶴岡政男たちが再び精力的に制作する様子から窺えます。日本画の革新を図るパンリアル協会のメンバーは、戦後のありふれたモチーフを造形化しました。
戦後の改革が進み、戦中期から時間もたつと、戦時中と戦後の断絶が徐々にはっきりとしてきます。戦時中を振り返る余裕が出てくるのです。1950年には丸木・位里・俊の《原爆の図》、浜田知明の《初年兵哀歌》シリーズが始まります。