1945年±5年 激動と復興の時代 時代を生きぬいた作品

展覧会の主な構成

11940年~1942年頃

中西利雄《散策》1940年 茨城県近代美術館蔵
中西利雄《散策》1940年 茨城県近代美術館蔵

モダン・ライフ

1937年からの日中戦争によって、日本は戦争に突き進みます。戦争の影はいたるところでみられますが、軍需景気もあって、一部ではまだ華やかさを残していました。1930年代から続くモダンな世界を代表するのは、中西利雄や小磯良平などの女性像、松本竣介の、都市の断片をコラージュしたような風景画です。

森堯之《ロシア教会》1941年 徳島県立近代美術館蔵
森堯之《ロシア教会》1941年 徳島県立近代美術館蔵

植民地、「満州国」、外地

日本が軍事的に進出した場所は、画家によって描かれました。とくに日本による傀儡(かいらい)国家、「満州国」には多くの人々が行き来したので、作品もたくさん残されています。ここでは、古家新、森堯之、前田藤四郎の絵を紹介します。

21942年頃~1945年頃

香月泰男《ハイラル通信 第11信》1943年 香月泰男美術館蔵
香月泰男《ハイラル通信 第11信》
1943年 香月泰男美術館蔵

戦争

日中戦争、アジア・太平洋戦争中に描かれた戦争画をいくつか紹介します。藤田嗣治や中村研一のような従軍画家、山下菊二のような一兵卒として従軍した画家では、描かれた内容も異なっています。
香月泰男が「満州国」のハイラルから送った軍事郵便には、家族を思う文章と大陸の風物が書(描)かれています。

靉光《蝶》1941年 広島市現代美術館蔵
靉光《蝶》1941年 広島市現代美術館蔵

大きな物語と
ミクロ・コスモス

軍国主義の日本では、神話に基づいた、イデオロギーの強い世界観が打ち出されました。一方、個人の世界観を作品の中にとどめようとした作家もいました。後者では、靉光、北脇昇らの作品を展示します。

小早川秋聲《國之楯》1944年(一部1968年改作) 京都霊山護国神社蔵(日南町美術館寄託)

銃後

ここでは、銃後の人々、訓練中の少年兵、遺族、戦死者、出兵式などの様々な営みを描いた作品を通して、過酷な時代を捉えます。女流美術家奉公隊が銃後の女性を描いた大作、《大東亜戦皇国婦女皆働之図(春夏の部)》も展示します。


小早川秋聲《國之楯》1944年(一部1968年改作) 京都霊山護国神社蔵(日南町美術館寄託)

31945年~1946年頃

廃墟と自然

敗戦は、人々に様々な感慨をもたらしました。捕虜となった水木しげるが描いたデッサンは、南方の人々や風景をモチーフにしたことも関係するのでしょうか、戦争が終わった喜びにあふれています。一方、洋画の重鎮、石井柏亭は、杜甫の詩を題名にした《山河在》で、人間の営みのはかなさに対する、自然の不変性を表現しています。 焼け野原となり、廃墟が広がる都市風景を描く画家もいました。戦後は、廃墟から始まったのです。


石井柏亭《山河在》1945年 松本市美術館蔵
石井柏亭《山河在》1945年 松本市美術館蔵
松本竣介《Y市の橋》1946年 京都国立近代美術館蔵
松本竣介《Y市の橋》1946年 京都国立近代美術館蔵

41947年頃~1950年

世相

ここでは、戦後の風俗を描いた作品を紹介します。また、いくつか女性像を描いた作品も並べます。
その中で、丸木俊の裸体女性像は、たくましい人間の原像のようです。

鶴岡政男《重い手》1949年 東京都現代美術館蔵
鶴岡政男《重い手》1949年 
東京都現代美術館蔵

前衛美術

戦中の統制で押さえられていた前衛美術の復活は、戦前から活躍していた福沢一郎、吉原治良、岡本太郎、桂ゆき、鶴岡政男たちが再び精力的に制作する様子から窺えます。日本画の革新を図るパンリアル協会のメンバーは、戦後のありふれたモチーフを造形化しました。

戦争回顧

戦後の改革が進み、戦中期から時間もたつと、戦時中と戦後の断絶が徐々にはっきりとしてきます。戦時中を振り返る余裕が出てくるのです。1950年には丸木・位里・俊の《原爆の図》、浜田知明の《初年兵哀歌》シリーズが始まります。


山本敬輔《ヒロシマ》1948年 兵庫県立美術館蔵

1945年±5年 激動と復興の時代 時代を生きぬいた作品

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