常設展示

兵庫ゆかりの作家

  1. TOP
  2. 常設展示
  3. 兵庫ゆかりの作家
  4. 生島 治郎

いくしま じろう生島 治郎

  • 昭和8~  (1933~)
  • ジャンル: 小説家
  • 出身:上海

PROFILE

兵庫県が舞台の作品に『追いつめる』がある。 昭和8年(1933)上海に生れ、幼年期を虹口界隈で過ごす。終戦間近の昭和20年(1945)長崎に引き揚げ、長崎から金沢、横浜へと居を移す。神奈川県立横浜翠嵐高校を経て昭和26年(1951)早稲田大学英文科に進学。大学卒業後、いったんデザイン事務所に就職したのち、昭和31年(1956)早川書房に入社。「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」編集長をつとめた。昭和39年(1964)『傷痕の街』(講談社)を書き下ろし、作家としてデビュー。翌年(1965)『黄土の奔流』(光文社)が直木賞候補作となり、昭和42年(1967)神戸を舞台に暴力団組織に立ち向かう主人公を描いた小説『追いつめる』(光文社)で第57回直木賞受賞。ハードボイルド小説の草分け的存在として活躍。以降、ハードボイルド小説、推理小説を本領とした個性派作家として多数の作品を発表する。主な著作に『片翼だけの天使』(集英社)、『暗雲』(小学館)、『上海カサブランカ』(双葉社)などがある。平成元年(1989)から平成5年(1993)まで日本推理作家協会理事長をつとめた。

《 略年譜 》

年齢事項
193301月25日、電気技師の父小泉辛吾の長男として上海に生まれる。
19396第二北部尋常小学校入学。
194512長崎へ引揚げ、長崎県立瓊浦中学校入学。金沢へ移り、石川県立金沢第一中学校転入。父の仕事の関係でに伴い横浜へ転居、神奈川県立第二中学校転入。
194815横浜翠嵐高校へ進学。
195118早稲田大学文学部英文学科入学。
195522早稲田大学英文学科卒業。就職難のためデザイン事務所に就職。その間早川書房の正社員募集に応募し、翌年(1956)早川書房入社。
195623「エラリークイン・ミステリ・マガジン」(EQMM)日本版創刊。編集を担当。
195926杉山喜美子(作家・小泉喜美子)と結婚。
196431『傷痕の街』を書き下ろしで刊行し、作家デビュー。EQMM編集長を最期に早川書房を退社し、文筆生活に入る。
196532『黄土の奔流』が第54回直木賞候補作となる。
196734『追いつめる』で第57回直木賞受賞。
197239喜美子夫人と離婚。
197845日中文化友好団の一員として訪中。
198552京子夫人と結婚。
198653『片翼だけの天使』が50万部のベストセラーとなり映画化される。
198956日本推理作家協会理事長就任。
200168脊椎障害を患い、口述筆記で執筆活動を続ける。
兵庫県との関係
舞台  神戸市

代表作品

作品名刊行年版元備考
傷痕の街1964講談社
黄土の奔流1965光文社
追いつめる1967光文社
淋しがりやのキング1968徳間書店
死ぬときは独り1969文芸春秋
男たちのブルース1970文芸春秋
殺しの前に口笛を1971双葉社
さすらいの狼1972実業之日本社
兇悪の門1973講談社
兇悪の眼1974講談社
報酬か死か1975桃源社
燃えつきる男たち1976桃源社
兇悪の炎1977講談社
賭けるものなし1979徳間書店
ダイヤモンドはわが墓石1980徳間書店
抹殺指令1981徳間書店
夜明け前に撃て1982集英社
兇悪の拳銃1983講談社
片翼だけの天使1984集英社
片翼だけの青春1985集英社
片翼だけの結婚1985集英社
ブラック・マネー1986集英社
死んでたまるか1987徳間書店
片翼だけの女房どの1988集英社
殺人者は夜明けに来る1989徳間書店
総統奪取1990講談社

受賞歴

受賞年受賞内容受賞作品
1967第57回直木三十五賞「追いつめる」
ページの先頭へ