宇都宮会場の特設サイトでは、
本展担当学芸員の橋本優子氏
(宇都宮美術館)による
サヴィニャック関連の記事が
多数掲載されています。
1907年 | 11月6日パリに生まれる。 |
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1920年 | 中学では商業科のクラスに入るがそこでの勉強を好きになれない。自転車競技に夢中になるもチャンピオンになる夢はあきらめる。 |
1923年 | STCRP(パリ地域公共交通公団)の図案画工となり、夜学で工業デザインを学ぶ。 |
1925年 | ロベール・ロルタック広告アニメーション映画工房に入社。 |
1929年 | 1年半の兵役を終えてロルタックのスタジオに戻る。ポスターデザインを試みながら数年の間取るに足らない仕事を続ける。 |
1933年 | 大胆にもアリアンス・グラフィック社を訪ね、A.M.カッサンドルに自分の作品を見せたところ、その場で彼のアシスタントになった。サヴィニャックの経歴の最初の転機となる。 |
1938年 | モンルージュのドラジェール兄弟印刷所にポスター下絵師・図案家として入社。 |
1939年 | 第二次世界大戦宣戦布告と同時に召集される。 |
1940年 | 従軍休暇中、マルセル・メルシエと結婚。独仏休戦協定が結ばれ、サヴィニャックはパリに復員する。 |
1942年 | 広告コンソーシアム社(ロレアル社傘下の広告代理店)のプロデューサー、ロベール・ゲランと出会う。 |
1944年 | 広告コンソーシアム社の仕事をしながら、広告会社アルジャンヴィックとも仕事を始める。 |
1947年 | 広告コンソーシアム社を解雇される。 |
1948年 | 旧知のベルナール・ヴィルモと再会。ヴィルモは行き場のないサヴィニャックを自分のアトリエに誘う。 |
1949年 | ヴィルモと二人展を開催し、大きな成功を収める。この展覧会でロレアル社を創設したウージェーヌ・シュレールはモンサヴォン石鹸の牝牛を発見し自社の広告に採用、サヴィニャックはポスター作家として真のデビューを果たす。 |
1950- 60年代 |
サヴィニャックの最も有名な作品が次々と生まれたのは50年代と60年代。60年代の終わりには広告代理店好みの写真ポスターに押しやられる形で手描きポスターは衰退の一途をたどる。サヴィニャックの活動もその影響を受けるが、それでも多くのポスターや他の仕事も手掛ける。 |
1981年 | 「前へ、シトロエン!」キャンペーンの注文を受ける。1984年まで続いたこの仕事が、サヴィニャックの最後の商業的な大成功となる。 |
1982年 | 妻と共にノルマンディー海岸のトゥルーヴィル=シュル=メールに移住。この街で皆に大歓迎され充実した晩年を過ごす。地元からフランス国内外からそして日本から仕事の依頼は途切れることがなかった。大小様々なサヴィニャック の展覧会が次々に開催される。 |
2002年 | 10月29日、町の英雄としてトゥルーヴィルで皆に惜しまれながら亡くなった。 |