《レジステックス:フランス人の作業着》(部分)1952年 パリ市フォルネー図書館蔵 cAnnie Charpentier 2018

作家紹介


Portrait de Savignac ©Danièle Costes-Lombard

Raymond Savignac
レイモン・サヴィニャック

1907年 11月6日パリに生まれる。
1920年 中学では商業科のクラスに入るがそこでの勉強を好きになれない。自転車競技に夢中になるもチャンピオンになる夢はあきらめる。
1923年 STCRP(パリ地域公共交通公団)の図案画工となり、夜学で工業デザインを学ぶ。
1925年 ロベール・ロルタック広告アニメーション映画工房に入社。
1929年 1年半の兵役を終えてロルタックのスタジオに戻る。ポスターデザインを試みながら数年の間取るに足らない仕事を続ける。
1933年 大胆にもアリアンス・グラフィック社を訪ね、A.M.カッサンドルに自分の作品を見せたところ、その場で彼のアシスタントになった。サヴィニャックの経歴の最初の転機となる。
1938年 モンルージュのドラジェール兄弟印刷所にポスター下絵師・図案家として入社。
1939年 第二次世界大戦宣戦布告と同時に召集される。
1940年 従軍休暇中、マルセル・メルシエと結婚。独仏休戦協定が結ばれ、サヴィニャックはパリに復員する。
1942年 広告コンソーシアム社(ロレアル社傘下の広告代理店)のプロデューサー、ロベール・ゲランと出会う。
1944年 広告コンソーシアム社の仕事をしながら、広告会社アルジャンヴィックとも仕事を始める。
1947年 広告コンソーシアム社を解雇される。
1948年 旧知のベルナール・ヴィルモと再会。ヴィルモは行き場のないサヴィニャックを自分のアトリエに誘う。
1949年 ヴィルモと二人展を開催し、大きな成功を収める。この展覧会でロレアル社を創設したウージェーヌ・シュレールはモンサヴォン石鹸の牝牛を発見し自社の広告に採用、サヴィニャックはポスター作家として真のデビューを果たす。
1950-
60年代
サヴィニャックの最も有名な作品が次々と生まれたのは50年代と60年代。60年代の終わりには広告代理店好みの写真ポスターに押しやられる形で手描きポスターは衰退の一途をたどる。サヴィニャックの活動もその影響を受けるが、それでも多くのポスターや他の仕事も手掛ける。
1981年 「前へ、シトロエン!」キャンペーンの注文を受ける。1984年まで続いたこの仕事が、サヴィニャックの最後の商業的な大成功となる。
1982年 妻と共にノルマンディー海岸のトゥルーヴィル=シュル=メールに移住。この街で皆に大歓迎され充実した晩年を過ごす。地元からフランス国内外からそして日本から仕事の依頼は途切れることがなかった。大小様々なサヴィニャック の展覧会が次々に開催される。
2002年 10月29日、町の英雄としてトゥルーヴィルで皆に惜しまれながら亡くなった。
《ダンロップタイヤで出発》1953年 パリ市フォルネー図書館蔵 ≅Annie Charpentier 2018