見えないものと見えるもの



▼河口龍夫公式ホームページ
http://www.tatsuokawaguchi.com/

 芸術は人間の精神に何らかの作用をおよぼすものです。そうだとすれば、その作用は、例えば精神を高揚させたり、未知なる感覚を享受させたり、好奇心を駆り立てたり、快と不快を同時に感じさせたり、コモンセンスからナンセンスへの面白さを感じさせたり、日常を超えた非日常を知覚させたりしますが、とりわけ、私を精神の冒険に誘い、私は誘われます。その意味では、私にとっては芸術は精神の冒険と言えると思います。さらに言えば、芸術そのものが人間が見つけることができた精神の大冒険のように思われます。

 芸術のなかでも視覚に関わる芸術を美術と言い、その美術を視覚芸術ともいいます。しかし、私は必ずしも美術は、五感のうちの視覚のみを対象化したものではないのではないかと考えています。その立場から、私は、美術を視覚の呪縛からの解放と言う精神の冒険に旅立ちました。つまり、「見えるもの」のみを重要視する美術からの解放と言ってよいでしょう。例をあげれば、「見えるもの」を「見えなく」したり、闇のように「見えないもの」をさらに「見えなく」することにより、視覚の問題を美術の中心とし絶対視するような美術思考に風穴を開け、「見えないもの」と「見えるもの」の扉を同時に開き、風通しよく行き来が出来るようにしようと思います。そんな思いにいたったのは、この世界は「見えないもの」と「見えるもの」との関係(時には無関係)により成立しており、その総体と思うからです。

 この度の兵庫県立美術館と名古屋市美術館で開催される「河口龍夫」展においては一般的におこなわれる巡回展の形式ではなく、神戸と名古屋間の距離を隔てたふたつの空間で、ほぼ同時期開催による共有する時間と共存関係を保った展覧会となります。言わば「関係―河口龍夫によるふたつの美術館」展が開催されます。さらに、私はふたつの展覧会そのものを作品にできないだろうかと考えました。このふたつの展覧会に共通し、貫かれているテーマは「見えないものと見えるもの」の関係(時には無関係)であります。