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清水登之《テニスプレイヤー》



清水登之《テニスプレイヤー》
油彩・布 1918(大正7)年 76.2×95.9cm
 前回ご紹介した青山熊治の海外体験は、シベリア鉄道でのロシア横断やフランスの田舎での重労働など、苦難に満ちたものでした。今回ご紹介する清水登之もまた、青山熊治に勝るとも劣らない過酷な海外生活の果てに画家としての地位を築いた人物です。  清水登之(しみず・とし)は1887(明治20)年、栃木県下都賀郡(現在の栃木市)に生まれました。幼い頃から画家となることに憧れをいだきつつ、はじめは軍人となることを志します。くしくも士官学校への受験に失敗したことから、画家となる夢を実現するため、登之はまずアメリカへと渡ります。
最初の5年間はワシントン州ワッパトの農園などでひたすら汗して働き資金をためるという生活でした。その後に移り住んだシアトルでは厳しい労働をつづけながら、フォッコ・タダマという人物の画塾に通います。5年にわたるシアトルでの生活の中で、登之は次第に画家としての頭角をあらわし始めますが、それに満足できなかったのか、ニューヨークへと生活の拠点を移します。ニューヨークではデザインの仕事をしながら、自由で先鋭な校風によって知られるアート・スチューデンツ・リーグに通っています。この学校には国吉康雄、石垣栄太郎、北川民治といった画家も通っていましたが、夜間クラスを受け持っていたジョン・スローンとの出会いは登之にとって決定的な意味を持つものでした。スローンは、都市に暮らす普通の人々のありのままの暮らしにこそ目を向けるべきだとするアメリカン・シーン派を代表する画家の一人です。師スローンの影響から、登之もまた市井の人々の暮らしをユーモアとともに描き出すようになります。
 
 現在開催中のコレクション展IIに展示されている清水登之の《テニスプレイヤー》は、画面右下に記された「1918」という年記をそのまま信じるならば、登之がニューヨークに移り住んで1年程たった頃の作品ということになります。人物の仕草やささやかな道具立てがユーモラスな物語を想像させる点は、確かにスローンの作品と共通するものです。
 それではこの作品はどのような物語が演じられているのか、登場人物たちのファッションにも目を配りながら覗いてみることにしましょう。

  舞台となるのは木立に囲まれたテニスコート。暗い色調は夜の場面だからでしょうか。左手にはログハウス風のコテージが見え、画面の奥へと道をたどって行くとゆったりと川が流れています。その岸辺には煙突のあるレンガ造りの工場のような建物がぽつんと建っています。
登場人物は6人の男女と一匹の黒犬です。
まず目を引くのが画面中央の男性です。すらっとしたこの男性はスポーツウェアも靴も白で統一していて、いかにも主役然とした風情です。彼が見つめているのは対戦相手ではなく一匹の黒犬です。どうやらこの犬は、ゲームの最中にコートの外へと転がっていったテニスボールを追いかけているらしく、尻尾をぴんと立て、かわいらしいたてがみを風になびかせています。
犬のお目当てのテニスボールは、シックな装いのご婦人の足元へとやってきたようです。彼女の身に付けている紫紺の2ピースドレスの生地はベルベットでしょうか。ドレスとおそろいの帽子や白い手袋、ハンドバッグを指先でつまむ仕草など、いかにもスポーツとは縁がなさそうです。その表情は静かなものですが、ひょっとしたらボールに夢中になっている犬がドレスの裾にまとわりつくのではないか、と気にしているのかも知れません。
青年とご婦人は、今はまだ別々に犬の姿を追っているだけですが、二人のたたずまいややさしげな眼差しは、犬のいたずらをきっかけに…といったドラマを予感させます。
つい先ほどまで、主人公風の男性と対戦していたのでしょう。ネットの向こう側には、ぽっちゃりとした女性が、両手を頭の後ろに回してバンダナを締めなおすような仕草をしています。彼女の装いは白のタンクトップにゆったりとした黒いブルーマーというシンプルな組み合わせ。それでも胸元の赤いリボンや、ブルーマーの裾を白いブーツに入れこんでいるところにお洒落心を感じます。彼女の視線もベルベットの貴婦人の方へと注がれていますが、少し不満げに見えるのは気のせいでしょうか。
丘の上ではテニスラケットを持った一組の男女が、この罪のないアクシデントを眺めています。男性の方はがっしりとした体格で、褐色の肌とサーモンピンクの長袖がよく似合っています。お尻のポケットからのぞいているのは財布かハンカチでしょうか。赤い色味がアクセントになっています。お隣の小柄な女性は、丈の長いブルーマーの上から緑色の光沢のある生地のワンピースを重ねています。黒いレースの縁取りや大きく肩を見せるライン、腰を絞ったシルエットなど、スポーツをする際の装いとしてはかなり凝った衣装です。ワンピースの裾からペチコートらしきものがちらりとのぞいているのも、白い靴とのバランスを考えてのことかも知れません。
丘の上の二人が「あらあら」といった風で、ぼんやり成り行きを見つめているのと反対に、コテージの戸口には「なんだなんだ」とコートの様子をうかがいに、スポーツウェアの上に黒い上着を羽織った男性が姿を見せています。あわただしいその身振り手振りは、彼が野次馬な人柄であることを教えてくれます。

 それにしても登場人物たちを結び付けている、テニスボールのぽつんとしたたたずまいとそれを追いかける犬の夢中な様子とを見比べていると、なんとも言えないおかしさがこみ上げてきます。結局、この作品の中で一番おいしい役どころを得たのはいたずら好きの黒犬なのではないでしょうか。子供と動物にはかなわない、などという話を耳にしますが、この作品も例外ではなかったようです。

 ニューヨークで画家としての地位を確立した登之はその後パリに渡り、1926年の末、帰国の途につきます。結婚のための一時帰国したことをのぞけば、20年におよぶ海外生活でした。滞米期、滞欧期の作品は、市井の人々の暮らしを共感とともにユーモアを交えながら描いたものが多いようです。そうした作品では画家自身が体験した苦難の跡が声高に語られることはありません。帰国後の作品では、それまでの洒脱な作風が一変し、大地に根ざした人間の営みに対する、心からの信頼が前面に現れてきます。登之の画風はその後も変化を見せ、晩年には従軍画家としても活躍しました。
こうした清水登之の作品と生涯について、詳しくお知りになりたい方は当館情報センターで下記の文献をご参照ください。
当館学芸員 小林 公

 ※清水登之について詳しくお知りになりたい方は、
当館の美術情報センターで下記の文献をご覧ください。
『清水登之画集』 1975年、日動出版部
『清水登之展』図録 1996-97年、栃木県立美術館
『清水登之とその仲間たち』展図録 2004年、とちぎ蔵の街美術館

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